#15 どこにも属さない感
退院してから、視覚、聴覚、触覚、嗅覚などの感覚に過度の負担がかかると、時々頭が爆発寸前になる以外、身体はすこぶる健康だった。
一度、オットと友人のアルと三人でサイクリングに出かけた時、目から、耳から、自転車の振動から伝わってくる情報量の多さに、アタマの中のおじさんたちがパニックを起こし、途中でしばらくへなへなと木の切り株にもたれかかって、動けなくなったことがある。
二人はもっと長く乗っていたかっただろうけれど、私がオバケみたいに真っ白な顔でそれ以上進めなくなってしまったので、仕方なく引き返した。
オットの家に着くと、糖分を摂ってエネルギーを回復させろと、渡されたショットグラスに入ったメープルシロップをちびちびと舐めながら、まるでカブトムシみたいだなとぼんやり思った。
大勢の人に一度に話しかけられたり、混んだ場所での大人数の会話などは、ひとつひとつが聞き分けられず、頭がいっぱいになって理解できないこともあった。
そんな頭や身体の問題は時間と共に徐々に解決していったけれど、実は心が疲れていたことに、まったく注意を払っていなかった。
医師からは、脳卒中の後遺症のひとつとして、鬱状態になることがあると言われていた。
人生を大きく変えるできごとなのだから、気分が落ち込んでも、当然と言えば当然なのかも知れない。
また、脳卒中によって脳内の化学物質のバランスが崩れて鬱になることもあると言う。
最初は、とにかく回復することにだけ集中し、前へ前へと進むばかりだった。
だけどリハビリが落ち着き、遊び相手の妹も帰国し、仕事にも復帰して、一人になって一息ついたら、ようやく心が疲れていたことに気づいた。
少しのことでイライラするし、感情が大きく揺れる。
ひどい鬱状態というわけではなかったが、気分が落ち込むこともあった。
どうにかしなきゃと、Heart & Stroke Foundationのオフィスに行って、脳卒中サバイバーのためのカウンセリングやサポートグループの情報をもらってきた。
脳卒中を発症して乗り越えた人のことを、Stroke Survivor、脳卒中サバイバーと呼ぶ。
だけど私は自分をそう呼ぶのにとても抵抗がある。
サバイバーという言葉が纏う、戦って生き抜いた人というニュアンスが、私には不釣り合いだからだ。
私はたまたま軽症で、戦って生き抜いてなんていない。ただただ幸運だっただけなのだ。
だけど、英語で他に当てはまる言葉がない。
そのことをセシに打ち明けると、彼女は
「気持ちは分かるけど、サバイバーって、何とか苦しい状況を切り抜けた人ってニュアンスもあるんじゃない?」
と言った。
うーん。そうか。まあじゃあセシに免じて。
でも私はこの
“どこにも属さない感”
をいつまでも払拭できずにいた。
もらったリストの中から女性だけのグループを選んだが、開催していないと言うので、結局男女混合のサポートグループの集まりに行くことにした。
コミュニティセンターの中の薄暗い小さな部屋に集まったのは、モデレーターを入れて10人ほど。大半が50〜60代の男性で、私のような40代そこそこの女性は一人もいない。
車椅子の人、歩行器の人、杖の人。ほとんどが何らかの障害を抱えているのが一見して分かる。
アジア人はとかく若く見られがちだから、彼らには、私は何も問題がない健康な若い女に見えただろう。
順に自分が抱えている問題をグループの人たちとシェアしていく。
彼らの多くが、脳卒中のせいで家族を支えていた大黒柱ではなくなり、経済的にも精神的にも家族に頼らざるを得なくなったという苦悩を抱えていた。
家庭内での役割が突然変わってしまったその困惑と理不尽さは、想像に難くない。
だけど独り身の私からすれば、家族が家計を支えてくれるなど、少し羨ましくもある。
かたや私は、子供を産むことを諦めたとか、ハイヒールを全部処分したとか、おそらくおじさんたちには理解し難いことを、誰かに言いたかっただけだ。
今後は状況に合わせて生き方を変えていかなければならないという点において、おじさんたちの悩みと、本質的には変わらない。
そこにいた全員が脳卒中によって人生が変わり、全員がそのことにまだ適応できずに戸惑っていた。
それなのに、私とおじさんたちの間には大きな溝があるようだった。
私が女だからなのか、彼らより若いからなのか、それとも目に見える障害を抱えていないからなのか。理由はわからない。
どうしても埋めがたいその溝を感じて、私は結局言いたかったことをシェアすることができなかった。
順番が来て、私はまだ回復が十分でないまま仕事に早く復帰し過ぎてしんどい、とだけ言った。嘘ではない。
けれど仕事に復帰したい彼らからはやはり共感は得られなかった。
同じ脳卒中経験者だからと言って、必ずしも理解し合えるというわけではないのだ。
結局残されたのは、脳卒中サバイバーにもどこにも属さない心細さと、まるで深い海に沈んでいくような無力さと静けさだけだった。
トボトボと家路につき、それ以降もう二度と集まりには参加しなかった。
(#16に続く)