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#1 天と地がひっくり返った日

もし、私の話が誰かの記憶のどこかに少しでも残ったなら、いつかどこかで誰かの力になれるかも知れない、という思いで、病気のこと、回復の過程のこと、あの頃思ったことなど、少しずつ書くことにしたら、頭の中で起こっていたことが、結構面白かったことに気づきました。私と一緒に面白がって頂けたら嬉しいです。

その時私は、自宅のソファにダラダラと寝っ転がって、当時はまだ交際中だった夫と電話で話していた。話しながら、突然左手で持っていた受話器を何度も何度も落とし始める。

あれ?何だろう?と思っているうちに、ひどいめまいと頭痛に襲われた。
頭痛薬を飲もうかな。でも何かがいつもと違う感じがする。

一旦切るね、と言って受話器を置いた。
自分の体に一体なにが起こっているのか確認したかったからだ。

後で聞いたら、そのときオットは、私がいきなり不機嫌になって電話を切ったのだと思ったらしい。えっ。私、いつもそんな情緒不安定かな?

受話器を置いて、立ち上がろうとすると、膝から崩れ落ち、ソファに倒れ込んで、文字通り天と地がひっくり返った。脳だ、と自分で分かった。

その頃、私は血圧が突拍子もなく高いことが分かって、薬を色々試しているところだったし、脳卒中の原因や症状を何となく知っていたので、これは血圧が原因の脳卒中でめまいと頭痛がするのだとピンときたのだ。

こういう時の私は、自分でもびっくりするほど冷静だ。

よし、オットに助けを求めよう。番号は覚えているようだ。ダイヤルもできる。話は?ろれつは回るのかな。ひとつひとつ脳の機能を確認していく。電話をかけ直して開口一番、

わたし多分脳卒中だと思う。すぐ来てくれる?

と言った。どうやら喋ることはできるらしい。
まだ私が突然情緒不安定になったと思っていたオットは、いやーパニック症状かもよ、はい深呼吸してーなんてのんきなことを言う。

いやいや、脳卒中だって。とにかく来て。そう言って電話を切る。

そう言えば、脳卒中の症状のひとつに顔の片側が下がるというのがあったな。私の顔は今どうなってるんだろう?鏡を見たけど、その症状はないみたいだ。

そうだ、うちの鍵は回すときひっかかって開けにくいんだ。合鍵を持ってはいるけど、開けるのに手間取るかも知れないな。鍵を開けておこう。そう思ってドアの方へ行こうとするけど、その頃にはもう左半身はすっかり動かなくなっていて立ち上がれない。

仕方がないからほふく前進で進む。

平和な国の自宅でほふく前進する30代女性はなかなかいないだろう。少なくとも私は見たことない。

ほふく前進と言っても、左半身はこの時点でもう完全に役に立たなくなっていたから、右手と右足だけを使って何とかドアにたどり着いて、鍵を開けたところでオットが入ってきた。

さっきまでのんきに深呼吸してーなんて言ってたオットも、床に突っ伏している私を見て、さすがにすぐ救急車を呼んだ。

救急車の中で、どこの病院に運ばれるのか隊員さんに聞いた。思っていたのと別の病院だと言う。へー、と思ったところで、記憶が途切れた。

*******

気づくとICUの中にいて、脳の中の血管が切れて出血したのだと告げられた。やっぱり脳卒中だ。

そうか、じゃあこれから私はどうなるんだろう?
脳卒中の原因や症状についてはほんの少し知っていたけれど、発症したらどうなるのかというところまでは知らなかった。

急に現実味を帯びて、初めて少し不安になる。だけど全体的には何だかぼんやりしてフワフワしている。その二つの相反する状態を行ったり来たりしながら、やがて眠りの淵に落ちていった。

途中、何度も医師や看護師さんに起こされて、ここがどこか分かりますか?今日が何曜日か分かりますか?と聞かれる。

意識レベルを確認しているのだろうけど、そんなに何度も何度も寝てるところを起こされて、同じ質問を繰り返されたら、日付が変わったかどうかも曖昧になって、答えられることも答えられなくなってくる。

間違ったこと言ったら、容態が変わったと思われるのかな?そんなことを考えて、質問されるたびに軽く緊張する。しつこいな、と若干イラッともする。

病院に運ばれた夜から次の日までは、そうして寝たり起きたりで、記憶が途切れ途切れで、聞かれたことや話したことの内容はぼんやり覚えているけど、いつの段階でその話をしたのかは曖昧だ。

もしかしたら眠ったまま目を覚まさないかも知れない、と思った。だからオットに、もしも植物状態になったら、絶対に延命はしないように頼んでおいた。

だけどそんなことには一切ならず、毎回必ず目を覚ます。どうやら命にはまったく別状はないらしい。前のめりに先走った自分が恥ずかしくて穴に入りたい。

医師からは、右脳のてっぺんのあたりで血管が破裂して出血したこと、出血自体は内出血と同じで、特に治療法はなく、ただ出血が自然に吸収されるまで待つしかないこと、どの程度の障害があるのか、またそれが残るのかはまだ分からないことを説明された。

私はただ淡々とその事実を受け入れた。

#2へ続く)

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