Flying Solo (帰路)
バンクーバーに戻る日がやって来た。あちこち好きなように出かけ、好きな人に会って、やりたいことをやって満足してるはずなのに、強欲な私にはまだまだ足りない。
家族や地元の友達にはあまり時間を割けなかったし、親族に至ってはほとんど会っていない。2週間半という限られた時間の中では、当然不義理をするところが出てくる。
成田エクスプレスで空港に向かうことにしていたので、実家からタクシーで新宿に行きそこから乗車することにした。
スーツケースとボストンバッグはオットへのお土産の食べ物と、買いためていた本でもう許容重量ギリギリである。私、これ持って歩けるんだろうか。
実家を後にするときは、いつも何とも言えない気持ちになる。緩やかな罪悪感と少しだけほっとするような気持ちと。
父が亡くなってからは母をひとりで置いていくからなおさらだ。年取って涙もろくなってるから、泣いたりしたらやだな、どんな顔したらいいだろう、なんて思っていたけど、まったく泣きやしない。
呼んだタクシーはなぜか隣の家の前で待っており、反対方向を向いているので、その先で方向転換して家の前まで来るように頼んだら、恐ろしく下手で、モタモタしてなかなかこっちまで来ない。
え、ちょっとヘタじゃない?大丈夫?
その様子をガン見していた母が目を丸くして言う。これじゃ泣くどころの騒ぎじゃない。て言うかちゃんと新宿に着けるのか?
運転手はやたらとおしゃべりで、あれこれ聞いてもいないことを話し続け、彼の幼なじみが私の高校の何年か後輩だと言う、とてつもなくどうでもいい情報を入手する。頼むから前向いて運転してくれ。
何とか時間通りに着き、重い荷物を引きずり、無事に電車に乗り込む。席についてようやくほっと一息つく。
空港に着いてチェックインさえしてしまえば、あとはいくつかお土産を買って、ゲートでぼんやり待って、搭乗したら寝るだけだ。
呑気に本を読んでいると、東京駅で車内アナウンスが流れる。人身事故があり、安全確認のために30分ほど遅れていると言って停まったままになった。
まあ30分なら別になんてことないとタカをくくっていた。ところがそれが45分、60分と、どんどん長くなる。
電車を降りて、リムジンバスで向かうという選択肢もある。けどあの超絶重たい荷物を2個抱えて乗り場まで行くことを考えたら震えるし、あまり着く時間に変わりはない。
最悪出発の一時間前にチェックインできれば飛行機には乗れるはず。今のところ間に合いそうだ。間に合わなければ、カウンターで暴れるか、帰国日を変更するしかない。
とにかく一旦成田までは向かおうと、結局そのまま待つことにした。75分ほど遅れて、ようやく電車が動き出した。
動き出したはいいが、ノロノロ運転である。刻一刻と状況をやりとりしていた妹がLINEで、よし走れ、チェックインできなければ騒いで暴れろと圧力団体のようなことを言ってくる。姉妹揃って言うことがまずい。
結局90分近く遅れて成田に到着した。なんとか出発1時間前にギリギリチェックインを済ませ、セキュリティに向かう。
が、前に並んでいる人が引っかかっている!え、一人で手荷物5個持ってるってどういうこと?5個全部中身チェックされてる!5個!!
やっと通り抜け、免税店を駆け抜け、オットに頼まれた日本酒を買い、ゲートに向かって走る。走りながらおたべ好きなエルサルバドル人の友達のために探すけど見つからない。て言うかなぜおたべ?どうしても見つからないので、仕方なく東京ばな奈を掴む。ごめん全然違うけどこれで許してくれ。
走る。走る。搭乗前にトイレにも行きたい。ようやくゲートに着く。暑い。喉が渇いた。長蛇の列に並んでようやく冷たいお茶を手に入れたとき、私の搭乗の順番が来た。
疲れ切ってぐったりと身体をシートに埋め、お茶を一口飲み、窓の外を見ると、滑走路に沿って色とりどりのライトが点いて、まるで宝石箱をひっくり返したみたいだった。
日本を発つ時、離陸前にはいつもちくりと胸の辺りが痛む。カナダでの生活に迷いはないし、後悔もしていないし、それなりに幸せに過ごしているけれど、この一瞬だけはいつも、これでいいんだっけ?という気持ちになる。あったのかも知れない別の人生を思って、意図せず気持ちが少し揺れるのかも知れない。それはあっという間に消えるのだけれど。
機体がふわりと離陸するのとほぼ同時に私は泥のように眠りについた。ただひたすら寝続けた。そうして何だか最後までドタバタでゆっくり振り返る余裕もなく、2週間半のひとり旅を終えた。
次にひとり旅できるのはもしかしたらずっと先かも知れない。だから私はこうしていま改めて振り返ってあれこれ書き記し、宝石のような瞬間たちを脳内で再生してじっくり味わっているのだ。
(終)