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#16 置き去りにした感情
ずっと見ないふりをしてきた自分の感情とついに向き合って手離す時が来た、というお話。
脳出血で倒れた後のあれやこれやを書いています。初めから読んでみようかな、という方はこちらからどうぞ。
身体の回復と正比例するように気分が落ち込んで行ったので、サポートグループに助けを求めに行ってみたけれど、あっという間に撃沈してすごすごと帰ってきた。
そもそも、私は気持ちを理解して欲しかったわけではない。
例えどんなに似たような経験をしても、完全に気持ちを分かり合うなんてできないことは分かっている。
私は多分、同志が欲しかっただけなのだ。
おたくも色々大変ですね。私も実は結構大変なんですよ。いやまあお互い頑張ってやって行きましょうね。
きっとそう静かに思い合う相手が欲しかったのだ。GFストロングの入院仲間たちのような。でもそうはいかなかった。
だけど決してグループのおじさんたちが悪いんじゃない。私たちは皆それぞれ、脳卒中が引き起こした様々な問題の渦中にいて、自分のことで精一杯で、結局お互いをサポートする余裕などなかったのだ。
苦しい、辛いと叫んでいる自分の声が大きすぎて、他の人が何と言っているのか聞こえない。皆がそういう感じだったのだと思う。
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心細さが増しただけで、ちっとも落ち込んだ気分が回復しないので、今度はカウンセラーに頼ることにした。
私の文化的背景を理解してくれる人の方がいいのではないかと思い、日本人のカウンセラーを探した。
一人あてがあった。けれど、彼はバンクーバーから引越してしまったのか、カウンセリングを辞めてしまったのか分からないが、どんなに探しても連絡先が見つからなかったので、結局別の人と予約を取った。
その人はとても親身になって話を聞いてくれたし、気持ちを理解して寄り添ってくれようとして、大変でしたね、と繰り返した。
とても優しい人だったのだと思う。
だけど絶望的に私のニーズに合わなかった。
私には、とても幸運なことに、話を聞いて気持ちに寄り添ってくれる人たちが周りにいた。
トモとセシはいつもどんな時も寄り添ってくれたし、オットだって色々とサポートをし続けてくれた。
心配してくれる日本の家族や友達もたくさんいた。
だから、私は話を聞いて寄り添ってくれる人が必要だったんじゃない。話を聞いてもらうだけで救われる、という段階はもうとっくに過ぎていた。
私はただ、気持ちが落ち込んだ時に、そこからどうやって気持ちを上げていくか、どうやって対処したらいいのか、もっと実用的な方法を、その道のプロに教えて欲しかったのだ。
だけど、聞いてもその人はどうしたらいいのか具体的なことは何も教えてくれず、ただひたすら私の話を聞こうとした。
お互いすれ違ったまま、何度かのカウンセリングの後、私はついに通うのをやめた。
ぐるぐる回って結局また同じ所に戻って来てしまった。
ヨガもやった。エクササイズも続けた。メディテーションもしたし、マインドフルネスの講習会にも通った。気持ちが楽になることなら何でも試した。
それでもさらに深い海の底に潜り込んで、じっとそこに留まっているような気持だった。何でこんな風になってしまったんだろう。
ある日突然、天と地がひっくり返って、だけど命拾いしたんだから、軽症で済んだんだからと、ただ淡々とリハビリを続けた。
そのことに文句を言ったことはなかった。愚痴もほとんど言わなかった。例のガンコちゃんも幅を利かせていたから、こんなことは何でもないとばかりに振舞っていた。
だけど本当は突然のことに戸惑っていたし、変わってしまう自分が不安なのに、誰にもわかってもらえない気がして、悲しかったのだ。
それなのにちゃんと戸惑わず、ちゃんと悲しまなかった。そこにそういう感情があると知っていたのに、見ないようにしていた。
多分それがいけなかったんだ。
その感情が、リハビリが落ち着いた頃にじわり、とぶり返して、まだここにいると言っていた。
そいつをようやく成仏させる時が来たのだ。
戸惑ったら戸惑っていると自覚してそのまま流す。悲しくなったら悲しんで、そのまま流す。ただそれを繰り返した。
湧き起こってくる感情を、否定も肯定もせずただそのまま認識するだけ。メディテーションやマインドフルネスで教わったやり方だ。
何度も何度も繰り返した。そうして何となく感情の揺れ幅も狭くなっていった。
退院してからそろそろ一年半近くが経とうとしていた。
(#17に続く)