
#19 転んでもただでは起きません
結局何で私は自分の経験について書いているのか、というお話。脳出血で倒れた後のあれやこれやを書いていて、今回がこのシリーズの最終回です。初めから読んでみようかな、という方はこちらからどうぞ。
パラリーガルのコース修了証をもらうのには、法律事務所や企業の法務部などで、弁護士の指導の下、6週間ほど実習を行わなければならない。
私は学校に通うにあたり、社内の法務部に掛け合って、会社で実習をさせてもらう手筈にしていた。
キャリアの長いシニアパラリーガルの下で、これでもかというほどみっちり実務を教わった。
教室で学ぶのとはやはり格段に違う。あまりの情報量に目が回るほどだった。
でもこれが後から効いてくるのだ。
このシニアパラリーガルは、私がコースを修了し、法務部に正式に雇われてひと月半した頃、なんと心臓発作で倒れてしまった。
幸い命に別状はなかったが、彼女はそこから3ヶ月ほど、仕事を休まざるを得なかった。
そんなバカなと思うが、新人の私しかその穴を埋める者が社内には誰もいない。
泳げるか泳げないかぐらいの状態で、いきなり沖にぽーんと放り出されたような感じだ。
こうなったらもう溺れて沈まないよう、教わったことを思い出して、必死に泳ぎ続けるしかない。
何とか大惨事にせずに3ヶ月留守を守ったことで、会社にも上司にもシニアパラリーガルにも根性を認められて、私自身も仕事においてはまあ大抵のことは何とかなるもんだと腹を括れるようになった。
そんな風に、身体以外のことに集中しているうちに、もうあまり脳出血の後遺症を自覚しなくなって行った。
もちろん、まだ左半身は右半身に比べてバランスが悪いし、力も弱い。相変わらずハイヒールは履けないし、走れないし、唇の左端の痺れもなくならない。
だけど、意識しなければそれほど気にならなくなっていた。あまりやる機会はないけれど、左足だけで立つのもだいぶ長くできるようになった。
恐らくこんな風に、気づいたら少し良くなっていたり、もう気にもしないようになったりしながら、このままずっと行くのだろう。
生きていれば転ぶことは必ずある。転んだら立ち上がって、埃を払って、また歩き始めるだけだ。私にとって、脳出血も「転ぶ」のと同じだったと思っている。
なんてことなかったと言うつもりも、脳出血を経験して良かったなどと綺麗事を言うつもりも全くない。
だけど、そこから立ち上がり、また歩き出す過程で、たくさんの方々に支えられて、たくさんのことを考え学んだ。
転んでも、たくさんのことを拾って、決してただでは起きなかったという事実は、これからも私を支えて行くだろう。
私のこの個人的な経験談が、もしも誰かの記憶のどこかに少しでも残ったら、いつかどこかで誰かの力になれるかも知れない。
そういう思いで、病気のこと、回復の過程のこと、当時思ったことなどをこうして書くことにしたら、思いがけず、頭の中で起こっていたことが、結構面白かったことに気づいた。
そして、書いたり面白かったことを思い出して笑ったりすることで、私自身が思うより深く受けていた傷を癒すことになった。
結局は誰かのためではなく、自分のために書いているのだ。
それでもいいと思えるようになった。自分を救えずに、いきなり世界は救えない。
だから私は私を救うために、こうしてあれやこれやを、これからも書き続けるだろう。
(あとがき)
最後まで読んで下さった皆さん、どうもありがとうございました。この脳出血の体験談シリーズはこれで終了と致しますが、これからも日々の色々をぽつりぽつりと書いて行くつもりですので、宜しければ引き続きお付き合い下さい。