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俳句四季新人賞応募作より

出国すボトルの温き水捨てて
春泥を飛ぶスカートを最大に
いつか立つための脚あり内裏雛
おおらかに歩く裸や遠く来て
ラムネ瓶さつきの店に戻り捨つ
ダリヤ包む紙を大きく引き出しぬ
天高し靴底で引くゴールライン
そのほかの中の一人を踊りをり
宵寒の煙草を酸つぱさうに吸ふ
手袋が握る手袋投票す
跳んで履くジーンズ冬の大三角

しばらく俳句を休んでいて、全然俳句と関わりが無いような生活をしていると、既に懐かしくなっている上記応募作に自分の切羽詰まった余裕の無さと、その割の詰めの甘さとが見えてくる。
休んでいなければ上記俳句を自画自賛し続けて終わっていたかもしれず休むのはいいなと思った。一方で今の状態が休みなのか卒業なのか、意志的にはもうやめていてそれは、俳句の無い生活の感覚を取り戻したいなと意識外にぼんやり思っていたことが、「取り戻したい」とはっきりした感覚になってきたから。詠むことで世界がくっきり現れてくる感覚が楽しかったはずなのに、その瞬間に目の前にあるものを楽しむよりも、言語化/俳句化することに気を取られる自分にうんざりするようになっていた。
そんなこともあって(それ以外のこともあって)意識的に離れた俳句だが、今回上記の句を含む30句の連作を俳句四季新人賞の最終候補に残していただいた。現実として新作を5句詠むという依頼をありがたいことにいただいている。さてどうしよう。その瞬間を野放しにただ味わい尽くすということを数か月やってきて、「からの~俳句モード突入」をもう脳みそが拒否する。
悩んでいる。落ちはない。

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