佐渡島さんnote 2021年10〜12月分(物語の新しい型を作ること)
佐渡島庸平さんnote記事研究
今日は2021年10月〜12月分です。
さっそく記事を読んできます!
(→の部分は引用メモです)
【2021年10月】
第八章 一生続く「無知の知」
→不惑というのは、世の中を知って惑わなくなるのではなくて、自分を知って自分の身の振り方に惑わなくなること
→コミュニティでは会話による毛づくろいが重要で、つまり会話の質ではなく会話の量が多いことが望ましい
「これってパワハラ?」の正解がない時代の道標。
→『ティラノ部長』=鈴木おさむさんの実体験から各エピソードが生まれているので、どの話もすごく生々しい。感情に嘘がない
→社会の変化に戸惑いながら、自分の生き方やあり方を見つけていく
第九章 現在と過去、成功と失敗
→時間軸が短い人は失敗している。もう少し正確に言うと、失敗したことにして終わらせて、次のところに行ってしまう
第十章 具体の観察力
「未来を変えられる」という意思を手放すこと。
→「俺の敵はだいたい俺です」『宇宙兄弟』のムッタのセリフ
→『スローターハウス5』カート・ヴォネガット・ジュニア著
具体と抽象を行き来する鍵、“AIDA(あいだ)”
→一度、抽象を挟むことで、キャラクターの具体的行動が普遍性を持つ。
→人と人。物と物。人と物。人と事。間(AIDA)を見ようとすると、俯瞰をしないといけない。自然と抽象度があがる
気づいた時には、もういない。その繰り返し
→「メッセージ ・イン・ア・ボトル」とも言える、遅れて伝わるメッセージを受け取った時の何とも言えない佇まいに、人間臭さを感じる
【2021年11月】
“見守る”と“放置”の違いとは何か。
→期待を手放し、相手を信頼し、見守る
→他者の「する」を邪魔しないようにするために、「しない」で「いる」が重要
“あいまい”なリーダーでは、ダメなのか?
→人類の長い歴史の中で見たら、現在の社会のほうが特異な状態かもしれない
ひとりではなく、「二人三脚」で発信を続ける価値
→『ぼくらの仮説が世界をつくる』を編集してくれた竹村さんが代表を務めるWORDSでは、「社長の隣に編集者を。」というキャッチコピーを掲げているが、これは実に的を得た言葉
(竹村さんの記事まとめもする予定!)
予測不能な時代を“幸せ”に生きる鍵は『易経』にあり
→『データの見えざる手』矢野和男著
→『予測不能の時代: データが明かす新たな生き方、企業、そして幸せ』
→昔の人たちにとって、「学問を修める」とは知識を極めることではなく、どんなに未知の状況になっても、ぶれずに正しい態度で向き合える人になること
【2021年12月】
日本の教育は、“自主性”を知らぬ間に潰している?
→創造性の発揮には、ものごとを観察し、自ら仮説を立て、アイデアを試していく自主性が前提となる
→自分の課題以外には取り組んではいけない。アドラーの言葉が、また頭の中を木霊
『嫌われた監督』から考える、プロとは何か?
→「ありがとう」を言葉にしないと、ギクシャクしてしまう関係性であるならば、それは自立ができていないメンバーの集まりであることの証
自然は、人工物よりも、情報が多いから魅力的だ
→学校の教材も、ゲームも、人の手が加わったものは、味わいやすい。そうではなく、自然を複雑なまま、あいまいなまま味わう
あいまいで未知。だから、感情の探究はおもしろい。
→『感情は、すぐに脳をジャックする』
→いろんな感情になり、それを手放して、観察することで、人生を味わいつくしたい
メタバース上の「NFTアバター」制作を、コルクがやる理由
→物語を通じて、自分の人生では味わったことのない感情を経験する。ある種、物語は感情と出会うための装置
→アバターを通じて、様々な感情を経験することで、自分の世界を広げていく
以上です。この連載が面白くて、このあと本でも必ず読みたいと思います!
佐渡島 僕はいろんなことを、朝起きた瞬間に思いついています。起きるのは六時半くらいなんですけど、だいたい五時半くらいからもう、寝ているんですけど頭の中でずっと自分で議論していて、六時半になって目覚ましが鳴ったら、「そうだオレはこうしよう!」と一人会議の結論を出して、本当に起きるんです。
すごい…!ダラダラ二度寝している自分を反省します。朝から心持ちが違う。
さらに、今回はこの文章について深く考えてみたいと思いました。
細谷 こういう方法でやったらもっとよくなるな、と気づいた事例はありますか。視点のレベルだったり、あるいは仮説の精度といったものを、どういうふうに持っていくと観察力が向上するとか。
佐渡島 仕事柄、人が感動するとはどういうことだろう、とずっと考えています。本当に人が感動する物語を作りたいと思っているので。興奮するではなく、感じて、動く。世界のあり方が変わってしまうような感動。そうするとやっぱり、パーソナライズに行き着くんだなと思っています。
ストーリーの中で、仲が悪かった二人が難題に立ち向かいながら打ち解けていく様子を一回経験して、そのあとでリアルで飲みに行って、「さて俺たちはどんなプロジェクトを成功させるんだっけ」と確認しあってからリアルの仕事に戻ったら、どうですか。仕事への取り組み方も上司との関係も、きっと変わりますよね。
本当に人を感動させるには、物語のあらすじを考えるのではなく、そんなふうに実際に入っていく物語の新しい「型」を作ることになるんだろうと思っています。これが実現できたら、入っていく物語は必ずしも壮大である必要はないです。
ちょっと難しいんですけど、パーソナライズっていうのはつまり、例えばインスタで私の好きなお菓子作りの様子が映った動画が自動でチョイスされるとかですよね?
プロのパティシエが作る工程を見ているだけで楽しくて、その技術や工夫に感心したり、海外の方だとわりと大胆だなって笑えたり、私にもできそうかもと思えて家で作るときに以前より気楽になった気がします。
で、思ったんです。私は昔一度、製菓学校の通信で学んで、実習には通って40万くらい払ったけど、それよりも今こうしてインスタで見ているだけのほうがリアルにも活かせる学びになっているなと。
それって、佐渡島さんの言うVRとか型のようなものを一度体験できているってことなのかも。(私の場合、リアルが家の範囲内におさまっていて外に出ないことが問題なんですけど、それはまた別の話…)
いきなり学校で知識を学んで実習したところで、私には無理かも…って自信を失うだけだったけれど、繰り返し見てイメージした世界は、そのあと実際に経験して失敗したとしても揺るがないんですよね。
脳内で確かな型を持っているから、こうだったかな?って試行錯誤できる。
そういうものを物語で作ることができたら…というのが佐渡島さんの目指す未来なのかな、と思いました。
自分の人生で失敗をすることもストーリーの一部、そう感じられるほどに没入できる物語があれば、私みたいな社会で上手く生きられない人間も確かに変われそうです。
現在はその役割をロールプレイングゲームが果たしてくれているのかも?
ただ、ゲームのなかで勇者や魔法使いとしてのレベルが上がっても、リアルな生活には活かせないし、そのストーリーに感動できても自分の世界が変わるという体験にまではできないことが多いです。(私が証拠…)
そういう意味では、漫画を読んだりドラマを見て、何かの職業に憧れてその世界を目指し夢をかなえた、っていうストーリーのほうが実際によくあるし可能性を感じます。
だけど、それはあくまで一部の人のサクセスストーリーなんですよね。
できることなら、日本に暮らすすべての人たちの心が軽やかに変わる、日本そのものが幸せな空気に満たされるような物語、そういう国民的な漫画かドラマが生まれないかなと、私はひそかに願っていて…
ゲームや映画はそれぞれの時間軸で影響をもたらすものだけど、漫画とドラマには同時に日本人すべての心に届く可能性があると信じているんです。スポーツにもその可能性はあるけれど、勝負の世界ではなく創作の世界にそんな瞬間を夢見ているのかも。
(鬼滅の刃とかVIVANTみたいに)
パーソナライズから程遠いところに話が着地してしまいましたが…、あぁそうか、だから私は脚本家か、漫画家になりたかったのか…と言語化できた気もします。
自分がその作り手になれるという自信も覚悟もないのが私のダメなところ…
あ、しまった。今の私は「よかったさん」なので、言語化できてよかったです!で止めなければいけなかったですね。笑
あと、実際に入っていく物語の「型」というお話でパッと浮かんだのはディズニーランドとかUSJでした。
で、私はそういうテーマパークを脳内に作って遊んでるんですよね。このnoteも佐渡島さんエリアを今作っていて、あと4人のエリアも今年中に完成予定で、来年は真ん中のメインコンテンツとして自分の記事(3コマ漫画連載?)を開発する予定です!
そうやって想像でVR化したら、毎日投稿しなきゃとか思わなくても、ずっとnoteの街にこもっていたくなるくらい楽しいのでオススメです(リアルの仕事に戻ろ?)
では今日はこのくらいで。
ありがとうございました!
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