佐渡島さんnote 2022年7〜9月分(ジョハリの窓からさらけだす)
佐渡島庸平さんnote記事研究
今日は2022年7月〜9月分です。
さっそく記事を読んできます!
(→の部分は引用メモです)
【2022年7月】
意外と知られてない、「修行」の本当の意味
→修行とは、何者かになるために行うものではなく、何者かになりたいという欲望すら消し去るために行うもの。そして、その極地に立って、初めて見えてくるものがある
ジョハリの窓から、「さらけだす」を再考
先人そのものではなく、先人の見ていた「対象」を見る
→先人たちの積み重ねのうえに自分はいると捉え、先人たちの見ていた方向を知ろうとする行為は、クリエイティビティを広げる発想
強要された我慢で、人は育たない。「叱る」をどう手放すか。
→叱るという行為に依存性がある
→本当に相手のことを想うなら、見守るを徹底していく
【2022年8月】
チームの思考力を高める、3つの「そろえる」とは?
→『アオアシに学ぶ「考える葦」の育ち方』仲山進也著
→作品に触れる際の目をそろえ、キャッチした情報への解釈をそろえ、呼吸をそろえて行動する
AIの技術進化で、創作はどう変わるか
→最初のラフ作成はAIを上手く活用し、作品を磨き上げることにより注力していく
振り返りのゴールは、目標設定ではなく、視点を得ること
→一番初めに「学び方を学ぶ」
→事実とそこに至るまでのプロセスを客観視し、自分の価値基準と視点に気づき、価値基準と視点自体をアップデートする
二次創作がもたらす、滑らかな成長
→自分の尊敬する作品から学びながら、自分のオリジナルへと推移していく
→歴史を振り返ると、広く流行するコンテンツとは、多くの人がマネができ、二次創作のできるコンテンツ
自分に自信を持つために、考えるべき問い
→根拠なき自信にとって大切なのは、何かしら行動したら、振り返りを正しく行い、自分を更新していくこと
→信用を積み重ねていく人生よりも、「どうやったら自分を信頼できるようになるか」という問いについて深く考えていく人生のほうが、よっぽど豊かなんじゃないか
【2022年9月】
「他人は自分を映す鏡」の意味について再考
→他人は自分の鏡だとしたら、相手からのフィードバックは、ぼく自身ではなく、その言葉を発した人自身を表している。そこから自分という鏡の具合を想像する
「見守る」とは、自分がいなくなった時の準備
→仕事を本気でやることが、自分のいなくなる準備だとしたら、ぼくたちは、仕事をしながら、死ぬための準備をしている
アイデアを生み出す組織に必要な土台
→プライベートでの気づきを気軽に共有できるような雑談の場をどうつくるか
「学校どうだった?」と、子どもに聞いてはいけない理由
→自分という存在が、相手の自分向けの分人を無意識のうちに引き出しているという事実
以上です。今回もすごくタメになりました。特に読めてよかった記事はこちら!
ジョハリの窓では、「自分は知っている/自分は知らない」「他人は知っている/他人は知らない」という2つの軸で、自分の特性や価値観、強みや言動などを分類していく。
「さらけだす」とは、自分と他者の前提となるものをあわせていくこと。言い換えると、自分も他人も知っている「開放の窓(open self)」を広げていくことだ。
では、どうやったら「開放の窓(open self)」を広げられるか。
自分は知っていて、他人は知らない「秘密の窓(hidden self)」。自分は知らなくて、他人は知っている「盲点の窓(blind self)」。この2つの窓を縮める必要がある。
記事のなかの図を見てもらうとわかりやすいのですが、広げたいのは…
開放の窓=自分も他人も知っている
未知の窓=自分も他人も知らない
(未知を開拓するという意味で)
そして自分と他人で見え方が違い、それぞれを縮めるためのポイントが…
盲点の窓→フィードバッグをもらう
秘密の窓→さらけだす
そうか、佐渡島さんが度々説明してこられた「さらけだす」の言葉が今、パズルにはまるみたいにピッタリ理解できました!
例えば、このnoteもそのひとつと言える。書いている内容が、読者の人たちに刺さるかどうかは、あまり考えていない。とにかく、自分の考えていることを言語化し、オープンにしていこうと思って投稿している。
そういう風に捉えると、「秘密の窓(hidden self)」を開くことのハードルは下がるのではないだろうか。「秘密の窓」というと重々しい響きがあるが、自分の中にあるものを共有するだけだ。
そして、実はそれが一番難しい。内緒の話は、もうすでに言語になってる。言語になってない自分のことに気づくのは、難易度が高い。
「さらけだす」は、相手に自分を知ってもらうと同時に、自分自身を深く知ることにも繋がる。
つまり私も、noteで記事を読んでまとめた後ついつい自分語りが長くなってしまうのも、さらけだすことで自分自身を深く知ることができているということなのかも。
問題はフィードバッグがないことかな。でも反応があっても(以前の推しの応援ブログみたいに)ビクビクしてしまうから、のびのび書ける現状が心地よくさえある!
…なるほど、今ちょうど勢いで書いていて、このnoteを始めてから自分がそういうふうに感じていたのかと理解できました。
ということは、私は自分も他人も知らない「未知の窓」のなかを居心地がいいと感じるのかな。何かを探究するのが好きだから、研究者とかになればよかったのかも?
確かに漫画家になるよりは、漫画研究者になると考えるほうがしっくりくるほど、描きたい欲よりも知りたい欲のほうが強い気がします…。あれ、編集者のが向いてた?
いや、でもコミュ症だから無理でした…
こんなことを考えてしまうのは最近見ているウラ漫が面白すぎるから。笑
なので戻って続き見てきますね!
(『バンビ〜ノ!』『寿エンパイア』のせきやてつじ先生の密着が良すぎる〜)
では今日はこのくらいで。
ありがとうございました!
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