佐渡島さんnote 2022年4〜6月分(間を想像できるコマ割り)

佐渡島庸平さんnote記事研究
今日は2022年4月〜6月分です。

さっそく記事を読んできます!
(→の部分は引用メモです)


【2022年4月】

マンガの編集における、無刀の境地
→「我が剣は、天地とひとつ。故に剣は無くともよいのです」『バガボンド』井上雄彦著
→技術をただ追求する者と、その道の熟達者では、見える景色や住んでいる世界が全く違う。そのことを見事に表現しているシーン

“嫉妬に苦しむ”という感情の正体
→他者性を尊重しながらも、他者と他者が同じであり、つながる瞬間を探す。この矛盾するようなものの間で、揺れ動き続けるのが、創作者にとって大切なこと

相手に対して“こだわりが足りない”と思ったら
→相手が雑に見えたのなら、それは単に上位資質が異なっているだけ

「もう死にたい」という気持ちの裏側
→分人という概念。そして、一部を否定したい時に、間違って全部を否定してまう思考の特長

【2022年5月】

言葉の語源を遡ると、違う景色が見えてくる
→情熱とは自らの意志で燃やすものではなく、困難な環境の存在によって、はじめて燃え上がるもの
→強い感情である情熱をもとに創作を続けることは、心が強い人でないと難しい

他人への印象なんて、どれもいい加減
→相手のことを判断しないで、自分、もしくは環境の何が、相手からそのような要素を引き出しているのかと考えれるようになりたい

「私らしく」とは、本当に大切なのか?
→自分らしくを諦めると、新しい自分と出会える。逆説的に自分らしく振る舞える

密室での会話は、パワハラの温床となる
→一人ひとりのメンバーが自立しあって、お互いをサポートしながら、共に成長していく。こうした生態系を作るには、密室での会話は極力減らしていったほうがいい

心理的安全性と、短文コミュニケーション
→長文コミュニケーションとは、相手を信頼しない、心理的安全性がないコミュニケーションとも言える
→誰かと深い関係を築こうと思ったら、練りに練った告白をするのではなく、短文で対話を重ねる

【2022年6月】

余白がある、いい「コマ割り」とは何か
→マンガに深く向き合うとは、キャラやストーリーも重要だけど、コマという表現を深く理解すること

基本信仰こそ、思考停止の元凶
→『上達論 基本を基本から検討する』甲野善紀、方条遼雨著
→この本では「自ら引き出す力」が何よりも大切だと書かれている。「与えられる」のではなく、自ら「迎えにゆく」
→引き出したものを吸収するためには、「まっさらになれる能力」が重要
→言葉を正しく知ることは重要だが、言葉の外にあるものをどう感じ取れるようになるか。それが熟達への道

自己肯定感が低い人は、偏見メガネに囚われている
→自分を悩ませている前提にある考え方や価値観は、自分の偏見でしかなく、世の中における絶対ではない。そのことに気づけると、随分と気持ちは楽になる
→『歴史思考』深井龍之介著
→当時の価値観・文化・風習に沿って見ていくことで、歴史上の人物たちの本当の姿が浮かび上がってくる

思考の癖の発見に、『4行日記』がオススメ
→4行日記とは、「FFS理論」の開発者の小林博士が考案した、個性を活かして自己拡大するための日記術
→1行あたりの文字数は20文字以内
→4行日記では、潜在意識に落とし込みやすいように記号を使う。□は事実、◇は発見、○は教訓、☆は宣言を表現する

以上です。今回もタメになる記事が多く、特に最後の3つはそれぞれ取り上げて深く考えてみたい内容でした。

でも今の私に大事な記事はこちら!

一年ぶりにお会いしたモーニング創刊編集長の栗原良幸さんは、伊勢守のようにぼくに話しかけた。栗原さんの見えている景色に、自分はまだ遠く及ばない。

栗原さんは自身のことを「コマ原理主義者」だと言う。

マンガはコマの連続で描かれる表現物であり、マンガのコマは次のコマを目指して描かれる。1つのコマには、次のコマへ向かうテンションが与えられ、読者の目が止まるコマには「時間を一瞬に凝縮した描写」がなされる。

読者のリズムに任せて読めるのがマンガの特長であり、人間には時間を止めた表現でないと摂取できないものがある。コマで囲むことで、その瞬間に生じた激情的なものから、あいまいなものまで、伝えることができてしまう。


次のコマへ向かうテンション、っていう表現がなんかカッコいい…!
(ドラクエ8のコマンド入力にあるテンションを「ためる」みたい!)

この記事自体も学びになるのですが、栗原さんのお話では2024年12月にも『言葉を刷新することで見える世界を変える』という記事があって、私はこの文章が全文模写してしまったくらい衝撃だったんです。

その中に出でくる「コマ運び」という考え方が、コマ割りと視線誘導という言葉をひとつにしたようなわかりやすい表現で、将来的にそう呼ばれることが漫画家にとって当たり前になるだろうなと思いました。

そして、もうひとつコマに関する記事が。

佐々木先生曰く、コマ割りにはふたつの役割がある。ひとつはタイムラインの役割。もうひとつは、関係性を表すこと。

その中で、いいコマ割りとは「因果関係を読者が想像できるコマ割り」ではないかという話になり、ものすごく腑に落ちるものがあった。

例えば、Aという人物が冷蔵庫を開けて、中にあるアイスを見ている。次のコマでは、Bという人物が冷蔵庫を開けるのだけど、アイスはない。その様子をみて、後ろでAがニヤッとしている。

描かれていないコマで何があったのか。その因果関係を読者が頭の中で瞬時に補完することのできる。読者に想像する余白を残しているコマ割りだ。


大事すぎて抜粋できない…!
この続きも引用させてください。

いい作品には、因果関係を想像できるコマ割りが沢山入っている。言い換えれると、余白をうまく残している作品が、いい作品なのだ。

これは言葉で言うのは簡単だが、表現しようとすると難しい。説明的過ぎず、かつ読者を置いてきぼりにしない。その絶妙なバランスの落としどころを見つけていく必要がある。何を描くのかと同じくらい、何を描かないかについて考えないといけない。

この因果関係を伝えるには、4コマ必要なのか、それとも3コマで足りるのか。こうした見積もりができる人が、コマ割りが上手い人なのだろう。

マンガも小説と一緒で、行間をどうやって生み出すか。


すっっっごく勉強になります!

コマという限られた枠のなかに、無限の創造世界を描き出す漫画家さんをすごい!と私は感じてきたんですが、そのコマとコマの間にもそんな深い役割があったなんて…。

漫画おそろしい。いや、おもしろい。

私はこのコマ修業のために、来年から3コマ漫画を描こうと思っています。
なんとなく起承転結よりも、序破急のほうが自分のリズムに合っているかな?という理由だったんですが、3コマで表現する意味とか余白の使い方をもっと考え抜いて描かないと修業にならないと気づけました。

あとは、noteとは関係なく好きな漫画を模写する予定なんですが、模写と言っても絵は難しいので、コマとセリフを中心にネームに戻すイメージで、コマ割り…じゃなかったコマ運びの練習をするつもりです。
(腱鞘炎気味で延期中…)

noteの投稿と両立できるかな?
いや、やらねば。習慣連載されている漫画家さんに比べたら、私なんてぐーたら空想して楽しんでいるだけなんだから。
(昨日見たウラ漫の『灼熱カバディ』の先生の密着が凄すぎました…)

ひとまず、noteの毎日投稿が2ヶ月目に突入できてよかったです。

では今日はこのくらいで。
ありがとうございました!

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なおこ@よかったさん
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