佐渡島さんnote 2024年1〜3月分(作品づくりにおける指針)
佐渡島庸平さんnote記事研究
今日は2024年1月〜3月分です。
さっそく記事を読んできます!
(→の部分は引用メモです)
【2024年1月】
コルクで実現したい、編集者集団のあり方
→エージェントとして支える編集者は、作家の中で長時間継続する欲望や感情を引き出すようなアプローチが求められる
→マネタイズは「コンテンツそのもの」「広告」「ファンコミュニティでのマーチャンダイズ」の3つが軸
編集者が育つ環境を整えるべく、自分の「べき」を棚卸し
→講談社のお題は、講談社の社是である「面白くて、ためになる」とは何か
→モーニング編集部のお題は「読むと元気になる」とは何か
→「とは」について語り合い、自分なりの答えを見つけて、実践していくことのほうが、編集者として成長する近道になるはずだと考えてきた
→もしかしたら、ぼくの「では」を共有し、それを最初の型として手渡していったほうが、新人編集者にとっては動きやすくなるかもしれない
異なる世界観に気づき、どう受け入れていくか
→現実社会を生きる読者に寄り添うような作品を届けたいという気持ちが強く、現実に近い世界観の物語のほうが読者は共感しやすいと考えていた
→妖怪や妖精といった超常的な存在を描くことで、見えないものが見えてくる。そうした世界観を通じてしか、見えないものもあるだろう
自分を知る手掛かりとして、物語を読み返す→昔は共感できていたのに、今はそうではないなら、自分の内面に確実に変化が起きている証拠だ。そして、それは「自分を知る」ための手掛かりになる
自分のポジションを手放す、大切さと難しさ
→HBOオリジナルドラマ『メディア王 〜華麗なる一族(原題: Succession)』
→『仕事の辞め方』鈴木おさむ著
【2024年2月】
編集者自身の世界を変える、作品づくりのあり方
→さらけだすと、自分と作家で共通していることが見つかっていき、それが作品に落とし込まれていく。作品と自分の結びつきが強くなり、結果的に自分の世界に影響を与えるような物語が育まれていく
コルクが目指す創作とは、「ネタづくり」ではない
→人生の節目節目で何度も読み返したくなる「消費されない物語」とは何か
→ネタとは作品を構成する一つの要素、基本的に設定をさしてるだけにすぎない
→「登場人物の感情をしっかりと描くこと」「作品の根底にあるテーマを考えていくこと」「伝えたいことが最大限届くように、マンガ表現を磨いていくこと」を大切に
型を固めることで、「オルタナティブ」は生まれる
→『感情の民俗学 泣くことと笑うことの正体を求めて』畑中章宏著
→しっかりとした型を作ると、その型に疑問を持ったり、その型を更新しようと思って、異なる型を見つようとする人たちが現れる。それによって多様性が生まれてくケース
=「オルタナティブな存在」
目には映らない、街に漂う「文化の香り」
→街は生きている人だけで出来ているのではない。そこで死んだ人たちも、今の街を作っている
【2024年3月】
どんな世界でも、「やりすぎる」は体現できる
→スピード、量、質。この順番で「やりすぎる」を意識していくのが、自分を成長させていくうえで一番いい
→自分にとっての理想系が明確でないと、「やりすぎる」は生まれない。どういったものを自分は美しいと思っているのか
→シンプルに見えるものの中にも、変数がある場所を見出し、仮説検証を永遠に繰り返す。そして、その探求が楽しいと心から感じられる。そうした状態が「やりすぎる」で目指したい姿
子どもに“委ねる”覚悟と、子離れの難しさについて
→信用に基づいて「任せる」だけでなく、信頼に基づいて「委ねる」も織り交ぜていく。そうした会社が、経営者としてぼくが目指したい会社の姿
→親は子どもの成長スピードに合わせて、「保護」「管理」「任せる」「委ねる」へと移行していかないといけない
「欠点」と「弱点」の違いと、それぞれの向き合い方
→「主人公には“弱点”を、ライバルには“欠点“を」(小池一夫さんの言葉)
→主人公に欠点ではなく、弱点というのはすごく示唆深い。弱点はそれを克服できると、愛嬌になる場合がある
→一方、欠点の改善を試みていない態度は怠惰に感じる。愛嬌に転じることはない
→人生で本当に難しいことは、自分の弱点を見つけ、それを受け入れること
作品づくりの“根っこ”にある、南アフリカでの3年間
→その作品に「刺激」ではなく、「普遍」があるか。これが、ぼくの作品づくりにおける指針
→時代を超えても、国境を越えても、自分と重ねられるもの。そうした普遍が宿っているからこそ、送り先のない手紙のような作品だったとしても、読む人の心に訴えてくる
→ぼくは100年残るような作品を作りたい
以上です。最後の記事の、作品づくりにおける指針についてを4行日記にしようと思ったんですが…今回、特に共感した記事があったので(簡単な4行日記だけにしたい気持ちに抗って)少し考えてみます!
現実社会を観察していて、感情や関係性を読み解くのはすごく難しい。20代前半のぼくには、それができなかった。
一方、小説やマンガには、感情や関係性がすごくわかりやすく描かれている。「物語」という装置によって、見えないものに気づく能力を鍛えることができ、ぼくは現実社会と向き合う準備ができたのだと思う。
この物語がもつ力を最大化することが、コルクが目指していることだ。
この感覚、すごくよくわかります。
私の場合もこの感じに近くて、10代の頃、現実では対人恐怖症気味で…、気を使ってビクビクして疲れていたけど、漫画のなかでは出会ったキャラクターを観察して、いろんな感情に触れることが好きでした。
でも、そのおかげで現実に向き合う準備ができたかっていうと…かなり遠回りをしたんです。20代では逆に、物語のなかでも感情が「無」になってしまいました。
映画を見ても、スポーツを見ても、漫画を読んでも心が乾いていて感動しない。ぜんぜん涙が出なくて…ああ、私の心…壊れてるのかなって当時は感じていたけど、今ならわかります。むしろ壊さないために、何も感じないように守っていたんだと。
物語の世界が、本当は大好きで、本当は悔しくて、私はこれまで主人公みたいな努力をしてこなかったことや、もう遅いと諦めていること、心の奥には抱えきれないほどの感情が眠っていると認めること。
それができる強さを、30代を通して(推し活と、書くことを通して)少しずつ身につけられたから、40代になってやっとすべての感情を受け入れられたんだと思います。
(さすがに道草しすぎたけども…)
それに私はスポーツで挫折した人間なので、スポーツ漫画を読むのが苦しいんだと思っていました。もっと練習を頑張ればよかったって、絶対思うじゃないですか。でも悔しさの中身を勘違いしていたんです。
本当はずっと、私がこれを…描きたかった!挫折したのはいい、ならそれをエネルギーに熱い漫画を描ける人になりたかった!って心が叫んでいたんだと気がつきました。
(推し活と書くことのおかげで、主人公ではなく作者側に視点が移ったのかな)
今の私は漫画を読んで、登場人物を大好きになって、面白くて笑って、感動して泣いて、作者さんを尊敬して、自分がこの作品を生み出せなかったことを悔しがっている。もう「無」じゃないことが嬉しいです。
ということで、今日の4行日記を!
(現在、マンガワンで『灼熱カバディ』を昼4話、夜4話ずつ読み進めています。今はコメント欄も含めて楽しみたいので無料分ですが、必ず単行本を購入します)
【 4行日記(3日目)】
□『灼熱カバディ』はスポーツ漫画の傑作
◇本当に良い作品はコメント欄が荒れない
◯読者の心を浄化する漫画が稀に現れる
(ナウシカがオウムの目を青く戻すように)
☆「人々を青き清浄の地へ導かん」
(□事実、◇発見、◯教訓、☆宣言)
もし今の日本にナウシカみたいな人が現れるなら、それは漫画家さんだと信じて「その者青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」と涙を流す日が来ることを…私は本気で待ち望んでいるのかもしれません。
最後にもうひとつ【4行日記】を!
□私の作品づくりにおける指針を決定
◇佐渡島さんと同じで「刺激」ではなく
◯「普遍」が宿るまで考え、託して
☆100年先も残るような作品を作る!
(□事実、◇発見、◯教訓、☆宣言)
では今日はこのくらいで。
ありがとうございました!
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