古賀さんnote記事 2015年6月分

古賀史健さんのnote記事研究
今日は2015年6月分の22件です。

【タイトル】
あたらしいひとのアンセム
テクノロジーにできること
マナーは最後にやってくる
経営者のまかないめし
くだらない大人、つまらない大人 ☆
マンネリと初期衝動
緊急かつ重要なもの
ダメな原稿がダメな、ほんとうの理由 ☆
へぇー、へぇー、へぇー
ランキングとは◯◯である
地方出身者が知らないこと
はたらく街のあかりたち
わたしのプライオリティ
牛丼、持ち込むべからず
続編を書くということ
がんばれ男の子
たのしくない。だからおもしろい
ただそれだけの理由
そば屋のおじさん
そこにながれる時間
わたしが言いたい100のこと
ふつうの町の、晴れた週末


毎回お気に入りの2件(☆マーク)を選ぶと決めているのですが、今日みたいに前半で心に響いた絶対に譲れない記事にふたつ出会ってしまうと、後半はちょっと薄目でさらっと読んでいる気がするんです。

もし逆の順番で読んでいたら
『たのしくない。だからおもしろい』
『そこにながれる時間』
あたりも選びたくなったと思います。

世のなかで何かの作品や人を選考する人たちも、無意識にこういう気持ちで見てしまうことってあるのかなぁ。

ただ真っ白な心でワクワク読むこと。
それを明日からはもっと心がけよう。


では、今日の私が選んだ絶対に書き留めておきたかった記事はこちら。

『くだらない大人、つまらない大人』

自信満々につぶやかれる「格言めいたもの」。かしこそうに背伸びした「評論めいたもの」。そういうのは、もういいんです。もっと生活の匂いがする、それこそ家族経営のおそば屋さんみたいな言葉がほしいんです。目にやさしく、耳にやさしく、こころにやさしい、くだらない言葉が。
ただねー、くだらない人間であることって、けっこうむずかしいんですよ。


昨日、丁寧に文章を書こうとして、思ったんです。ちょっとつまらないなって。くだらないこと書きたいなって。

前々回の学び、「丁寧であること」を意識しつつ、くだらないことを書く技術が私にはまだないのかもしれないなぁと。

だけど、理由は他にもあるのかも。

だからぼくらは、初対面の人にはなかなか「くだらないこと」が言えません。ついつい「無難なこと」や「かしこそうなこと」でガードを固めます。そしてある程度なかよくなってようやく、アルコールの勢いでも借りて「くだらないこと」にチャレンジできるわけです。ここまでくれば「つまんねーやつ」のそしりも受けまい、との安心感があるから。うん、そうだそうだ。「くだらないこと」って、親密のサインであり、こころの開放度を示す指標なんですよね。


つまり、誰に読まれるあてもなく独りで書いている今、もし読んでくださる稀な方がいた場合、いきなり親密さを打ち出した文章でも大丈夫なもんだろうかと…。

そんな自意識過剰な配慮が、この記事をつまらなくさせているんですよね。

という言い訳をして、本当はくだらないことも書けるんですけど…!みたいな予防線を張っている可能性もなくはないし…。

記事を書くってむずかしい。私の記事がダメな、ほんとうの理由はなんだろう。


ということで、次に選んだのがこちら。

『ダメな原稿がダメな、ほんとうの理由』

こうして note を書くようになって、ほんとうによかったと思っている。なんなら知り合いのライターさんたちすべてに、毎日書くことを推奨したい。編集者だって書いたほうがいい。出版まわりじゃないお仕事の人も、ぜひぜひだ。

なぜか。

文章力の向上、ではない。残念ながら、こんなものを毎日書いたところで、文章はうまくならない。いわゆる1000本ノック式の「なんでもいいからたくさん書け」は間違いだと、ぼくは思っている。たくさん書くことは大切だけれども、「なんでもいいから」の気持ちで書いているかぎり、まるで身にならない。数をこなすことに意味はないとは言わないけれども、「それをカウントするような数には、なんの意味もない」とは断言できる。

文章がうまくなるのは、時間のかかることかもしれない。
ある段階以上にいきたければ、
それなりの才能も必要になるのかもしれない。
でも、「丁寧であること」については、時間も才能もいらない。
なぜならそれは「態度」の問題だから。
ダメな原稿と呼ばれるものの大半は、下手なのではない。
ただただ、腹立たしいほどに「雑」なのだ。

引用しすぎてごめんなさい。
でも本当は全文持ってきたい…。

ここからがさらに重要です。

毎日なにかを書き続けていると、いまの自分がどんな「態度」で生きているのか、どれくらい「雑」になっているのか、うんざりするほどよくわかる。もう少し「考えること」を深められるはずなのに、深めていない。そこらへんに転がってた言葉で、なんとなく体裁を整える。小手先の技術に逃げ、ごまかすことにばかり長けてくる。身を助けるはずの技術が慢心を呼び、慢心は「態度」を揺るがし、技術が見た目の「雑さ」を覆い隠す。

どんな業界のプロでも、一度身につけた技術それ自体が失われることは、たぶんない。問題は「態度」が摩耗し、雑になっていくことだ。
きっと、日々の自問と自答が大切なんだろう。
ブログとは「態度」への自問であり、「態度」からの自答だ。


これから先、約10年分の古賀さんの記事を読んでいくなかで、マイ・ベスト文章を選ぶとしたら、私はきっとこれにします。

そんなことを言ったら、この先ずっと薄目でさらっと読んでしまう危険性が…。
いや、それはないはずです!

もうひとつ、あるんですよね。
私の心に刻みこまれた、はずれくじの海についての記事が。その文章にたどり着く日を楽しみに読み進めているくらい!

雑に脱線してしまいましたが…

私は今1000本ノックのつもりで、1000日連続noteを投稿することを目標にしているけれど、ただ雑にペンを振るだけでは意味がないのだと反省しました。

それは1000回の、私の態度への自問自答であるべきなんだと。

だから今日みたいに、もっと丁寧に書くべきか、くだらない文章が書きたいけれどつまらないことを恐れてはいないか、キャラが定まらなくて雑になってはいないか、そうやって考えていること自体に書いている意味があるんだと思いました。

キャラって書くと軽いけれど…
それは態度のことなんですよね。

自問自答して自らのキャラクターを、そして考え尽くして物語のキャラクターを生み出している人たちが作家と呼ばれるのかも。

私もいつか、そうなれるように!

今この記事を読めてよかった!!

そうだ、ひとつ自分のキャラクターに案があるんです。毎日よかったことを探して集める「よかったさん」になること。

そんな態度で書いて、生きること。

それについては改めて考えをまとめてから、固定記事にする予定で書きますね。

ではでは、今日はこのくらいで。

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