末次先生note記事 2020年11月分(そこまで思って書く)
末次由紀さんnote記事研究
今日は2020年11月の8件です。
ではさっそく読んできます!
【タイトル】
まんが絵日記シリーズ2
絶え間なくバトンをつなぐ。自分を信じる力について。
初めまして。noteマガジンの説明と自己紹介と「読むこと」が好きなあなたへ。
まんが絵日記シリーズ3
その背中は未来を変える、かもしれないから
「賭ける」と「懸ける」の末の「君の名は」
「自分」の話の中の「自分」を救え
そこまで思ってないなら、なにも言うな
以上、じっくり読んできました。
思い返せば、この最後の記事が、末次先生のnoteに出会ったきっかけでした。
すぐに遡ってすべて読ませていただき、それからは更新されるたびに末次先生への好きが増していったのを覚えています。
私がこの記事に深く共感したのは、大好きな推しがいて、日々いろんな言葉を向けられることに心を痛めていたからです。
有名人だから叩かれても仕方ないとは思っていない人でも、叩かれる言動をしているなら叩かれて当然だと思う人の多さ。
たくさんの人の目にさらされて、心ない言葉をかけられて、否応にも擦れていく心があるだろうと想像できない人の多さ。
全世界に堂々と、公園でのおしゃべりみたいに誹謗中傷だと気づいてもいない会話を公開してストレス発散する人の多さ。
そんなふうにしか人を、世界を見られなくなっていく自分が一番イヤでした。
以前書いていた応援ブログは、私の推しだけでなくすべての人にとって優しい世界になってほしくて、末次先生のタイトルの言葉にこめられた願いを何度も何度も伝え方を変えて届けるみたいに、どうか誰かに響いてほしいという一心の叫びだったんです。
ツイッターをしていた頃は自分からリプしたこともない、YouTubeにチャットやコメントもできない、私はただの小心者で、優しい人間なわけでも、正義感があるわけでも、書くことが好きだったわけでもない。
それでも応援ブログを書いていたのは、そこまで思っているから。書くのが下手でも気持ちだけは命を削ってるんじゃないかと思うくらい全身全霊をこめて、この文章を存在させるまでは死にたくないと思いながら、だけど怖くて投稿のボタンを押す手が震えて、公開した後はたくさんスキをもらっても不安しかない、それでも書かずにはいられないから、応援ブログを書いていました。
誰かひとりでもイヤな気持ちにさせてしまわなかっただろうか、推しに迷惑はかからないだろうか、その文章を書くことで少なくとも自分は救われていたけれど、書くことが正しかったのかどうかはいつも悩み続けて、書くことの責任を考え続けた日々でした。
書き切って、燃え尽きるくらいに…
それに比べたらここは気楽です。笑
でもあの頃のように、そこまで思って何かを書きたいと思ってしまう私がいる。
応援ブログは卒業したけど推しは相変わらず大好きだし、私の命の恩人だとも思っているので、そこまで思っているなら愛を叫びたいというこの熱量を、これからは創作に向けるべく頑張らなくては!
いつか推しに(この言い方やっぱり慣れないけど…)恩返しできるように。
世界が優しくなるように…。
では今日はこのくらいで。
ありがとうございました!
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