古賀さんnote記事 2015年4月分

古賀史健さんのnote記事研究
今日は2015年4月分の21件です。

さっそく読み返して、お気に入りの2件(☆マーク)を選んできます!

【タイトル】
マラドーナのラストパス
ことばよりも声を聞こう
あのひとの街頭演説
お金について考える
完全よりも完成を
ジーンズの破れ
丁寧であること ☆
家主の甲斐性
わたしがここにいる理由
売れない本のつくりかた
ネーミングのお手本
漢字の感じを甘受して
空飛ぶ館
ふえはうたう
芸と芸のあいだ ☆
どうしたらいいのかわからない
ないわけじゃない、のひとたち
どうやって儲けるんですか?
おしりかじり犬
きのうの4月1日
コマダくんの夢


今日は選ぶのが特に大変でした…!

本当は『お金について考える』をチョイスしたかったんです。というのも、私が毎朝ライブ配信を見ている「両学長 リベラルアーツ大学」が今日6周年だったので。

ちょうどお金について語りたい…。
けどそれはまた別の機会があればにしますね。ここでは「書くこと」についてを優先してレベルアップしていこう。

あと『完全より完成を』も迷ったのですが、これはもうタイトルがすべてを語っているので引用させていただかなくても忘れないだろうと思い、この記事を完成させるために心を鬼にして次にいきました。

そして選んだ記事が
『丁寧であること』です!

美文というのとも違う、文才というのとも違う、誠実さと丁寧さ、そして読み手を思いやる気持ちがしっかりと伝わってくる、気持ちのよいメール。そういや最近、こういうのサボってるなあ、と思わされました。

しかも丁寧であることって、「いつも」そうであるからこそ、丁寧と呼べるんですよね。口説き落としたい「あのひと」に向けて書くときだけ真剣になるのは「集中」であって、丁寧とはいわない。丁寧とは、態度のことであり、態度とは「いつもそうであるか」が問われることなんです。


本当にギクッとしました…。
なぜなら、いつか仕事で書く時がきたら学んだことを心がけようと思っている自分がいたからです。ここではいっか!という丁寧とは程遠い態度で今、書いています。

完全より完成を、丁寧より粗くても完成を、という気持ちでいました。

ごめんなさい、やっぱり『完全より完成を』からこの部分を引用させてください。

とはいえ、ここで「とりあえず、粗い原稿でいいからバーッと書いちゃいなよ」というのも違う話で、原稿って、粗く書いたら粗いまま固定化しちゃうんです。いくらあとになって山のような直しを入れても、一度粗く書いてしまったものは、どうしても骨格の粗さや杜撰さを残したまま、表面だけが磨かれる。編集者がよく言う「とりあえず書け。粗くてもいいから書け」は、かなり危険なアドバイスだとぼくは思っています。


そうかぁ、タイトルだけでわかったような気になって、選ばなくても大丈夫と思ったこの記事こそ今の私に必要なものでした。

今日の記事、確かにもうグダグダで修正がきかない…。明日から頑張ります。。


もうひとつ選んだ記事『芸と芸のあいだ』は私にはまだもう少し先の話で、私はまず丁寧に完成させることを心がけよう。

でもこの記事のタイトルと内容が好きすぎるので選ばないわけにはいかない!

『芸と芸のあいだ』

志の輔 「師匠から教わったひとつに、『芸術』と『芸能』の境目が大事なんだ、と。言い換えれば『芸』と『商売』との間ですね。この間をどう考えるか。食べるために芸をやってるんだけど、でも、食べるためだけに芸をやっているのとも違う。とはいえ、人里離れた誰もいないところで、自分の好きな物だけを拵えるような、そういう落語だと、またそれも違うだろう。自分が納得する『芸術』と、人を楽しませる『芸能』と、その間が、おまえの落語なんだ、ってことですね。」(「落語のはなしをしましょうか。立川志の輔×糸井重里」収録)

引用の引用ですみません…。

でもタイトルの意味がわかって、なるほど!とかなりスッキリしたんです。

そして心が震えました。
あぁ、そういう境地があるのかと。いつか、そこにたどり着きたいと。

今の私の文章はもちろん、自分が納得する芸術でも、人を楽しませる芸能でもない、ただひたすらに修行なのだと思います。

そのためにも今日みたいに失敗を繰り返しながら、毎日投稿するしかない!

リベ大の両学長もよく言っています。
「最速の成功法はただ1つ。
最速で失敗を繰り返すこと」だと。

今日のこの丁寧ではなく荒い不完全な文章の完成が、いつか私を芸と芸のあいだに導いてくれると信じて、精進します!

ではでは、今日はこのくらいで。

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