小説『MILK』を読んで徒然に思うこと。

 大好きな作家の大木亜希子先生が新しい小説を発表されました。noteで拝読させていただいた出来立てほやほやな感想を書きました。
 単なる1ファンが書いたたわいもない感想なのでまとまりもなく、徒然に書いただけの文章です。

 本当は作家の大木亜希子先生がお勧めするように書店で小説現代を買って読みたかったのですが、近所の書店では予約ができませんでした。その理由は先月に入荷が無かった為入ってこないというものでした。書籍のルールというものがよくわからないのですが、実績が無いと仕入れもできないシステムなのでしょうか?そこはよくわかりません。ともあれ、仕方なしに某密林サイトで注文をしましたが、未だ出荷の連絡が来ないため、ここで読ませてもらいました。
 
まず、何故タイトルが『MILK』なのでしょうか?
以下、ネタバレ含みます。
 
冒頭から赤ちゃんプレイの描写が始まります。そこからヒントを得て主人公の楓と俊太郎もミルクを使った赤ちゃんプレイをします。なる程、こういう楽しみ方もあるんだ、などと自分には想像もしえなかった遊び方に少々戸惑いましたが、このプレイが象徴になった一つでしょう。また、楓達が働く会社での取り扱い商品に液体ミルクがあげられ、関わるプロジェクト名にもミルク、の文字が使われています。また、俊太郎が浮気がばれないようにホテルのボディーソープを使わずに持ち込んだのも牛乳石けんでした。
 
でも、それだけでしょうか。
核心はそこではありませんでした。

 最初に2人が交わったときの会話にお互いに家族愛に乏しいという生い立ちの話がありました。俊太郎は家族に捨てられ、楓も母に捨てられる、そういう共通点があるということが判明しました。もっとも彼の話は作り話でしたが。

 つまり、2人とも親の愛に飢えていた。特にその象徴が母であり、きっと母の愛を連想させるミルクが主題に選ばれたのでしょう。
 
もっと深読みすると、俊太郎は精神的に未発達で、幼児性な部分を持ち、母親のような愛を求めていた、ということも暗示しているのでしょうか。タクシーの情事の後、別れ際の楓の台詞に、「私はあなたの母親じゃないのよ」という場面がありました。別れた女性にこのようにちょっかいを出す男に嫌悪感を抱きましたが、だからこそ楓も踏ん切りがついたのかもしれません。お互いに母性を求め、また楓は母親役をも演じていたのには無理があり、諦めを感じたのかもしれません。
 上手くまとまりませんが、MILKという言葉には母性や幼児性、隠語として精液や性愛を暗示させるとか様々な意味を持たせているのかもしれません。
そこには刺激的な官能的タイトルよりも暗示させるタイトルを望んで付けたのかもしれません。

タイトルの考察だけで長文になってしまいました。内容の感想に関しては又の機会に書きたいと思います。

最後に、MILKは素晴らしい小説です。このような素晴らしい物語を創作された大木亜希子先生を尊敬しています。より多くの方に読んでいただきたいおすすめの作品てす。私の感想など偉そうな文章に思われたのなら陳謝いたします。単なる1ファンのつぶやきだと思って流していただければ幸いです。
#MILK #大木亜希子 #小説現代

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