共産主義者、友人Kの想ひ出#4
第三章
私の転校 友人K、野球部、在日ジャガ。
ボクシング。
なかんずく私は再婚している実父のところに行く事にした。
転校してからは密かにボクシングをやろうと以前から本を買い研究していた。
父と二人でボクシングジムに見学に行きすぐ入会した。
一応空手四級緑帯からの転向だ。
始めは左ジャブばかり一か月毎日毎日。
左足ステップインと同時に打ちそのまま左足を軸に左に廻る。
その繰り返し。繰り返し。
縄跳びも。毎日毎日。
会長が自らミット持ってくれる。
会長の軽いパンチ動作でウイービング、ダッキング動作。すぐ左ジャブを会長のミットにバシッと叩き込む。
少し慣れたら会長の右ストレート動作を右にウイービングしで会長の左手のミットに左ボディを叩き込む。
そしてすぐ会長の右ミットにワン、ツー身体を戻しながら左踵を回して左フック!
楽しかった。自分が強くなったような気がする。
のめり込んだ。完全に集中している。
熱い、熱くなる。燃えている。コレがボクシングだ!西洋人の無敗のチャンピオンをロープに背負わせ追い詰め打ちまくる自分を妄想している瞬間。
カーン。3分撃ちまくりジムのゴングがなった。
会長がニヤリと笑いミットで少年の坊主頭を撫でる
「おっ!燃えてるなぁ尚貴!」
楽しかった・・・・
野球や空手みたいに何回やれとか強制されない。
ただし手を抜けば実践で痛い目に遭うのは自分。
初めてボディブローを喰らったときにはビックリした。
私の左ジャブをインサイドにダッキングし左アッパーボディブローを喰らった。
転校先の同級生、竹内だ。
同じ小柄だったが生まれつきのハードパンチャーだった。
ジムで覚えた左フックを学校でデカい不良に絡まれたときに思わず出してしまいそのデカい不良は痛がるのじゃなくマジの気絶するダウンをした。
本当の意味での強打者だ。
喧嘩みたいに何発も打ち込むのでなく
スッとワンパンチのノックアウトシーンだった。
友人Kは転校後に付き合いは無かったが
野球部ピッチャーとして活躍し夜も走りこんでいた。
ジャージを買う金が無いため、普通のジーパンで走っていてよくパトカーに呼び止められたという。
転校前の野球部はみんな不良。
正しくは不良になっていく。
シンナー、タバコ、不純異性交遊
2年、3年になるとイキり強度が増す学校だった。
ちょうど金八先生が流行った時代。
野球やプロレスを教えてくれた森進一激似のサウスポー、パックンも当たり前のようにヤンキーになっていった。
友人Kも感化され眉毛を剃ったり異様に太い白いズボンを履いてカエル座りをしたりしていたらしい。(3年後、ヤンキーに憧れていた時期の写真を見せてもらい大爆笑した。あんなに笑ったのは最初で最後だ。腹が捩れる、横隔膜が本当に痙攣した)
暴力団員の息子で実践的不良のヨシくんの横に
同じカエル座りをし剃った眉毛、茶色い髪、ブッカブカのズボンとサンダルの衣装を纏いカメラを睨みつけるヨシくんと友人K・・・・
笑った・・・
まずジワジワ来てから声を出し上半身を折り曲げながら笑った。
「・・じゃねえだろ笑 」
「・・・違うやろ 」
友人Kも明らかに恥ずかしそうに笑う。
ていうか気まずそう。
観てる方が気まずいんだよ。
恥ずかしい笑
「何、コレ」
「俺、哀しくなったらこの写真観るわ!」
ヤンキーポートレイトに対する称賛のフレーズは繰り返された。
世界で一番面白い奴は友人Kと金銭を着服発覚後、泣きながら記者のインタビューに答えた野々村議員だと断定する!
だが友人Kとバカ岸田はいわゆる不良ではなかった。タバコも吸わなかったし、何かそういった格好が流行っておりそんな雰囲気をセルフプロデュースしていただけなんだろう。
転校してからは友人の一人であったジャガイモ顔の在日コリアンの「ジャガ」に電話でみんなの様子を訊いたりしていた。
「ジャガ」は「尚貴、絶対言ったらあかんでぇ」と事前に確認した上で友人Kが実は私が交際していた美少女の坂本実華ちゃんの事がどうしようもなく好きな事や野球部の顧問の宮本先生と汚い言葉使いで喧嘩したとかいう話を聴いており私は友人Kが不良の仲間に入ったと思っていた。
転校してからしばらくして一度野球部が練習している時間に学校に遊びに行った。
グランウンドでセンターを守っていた森進一激似のサウスポー、パックンが塀の外から覗いてる私を見つけボールをこっちに投げて来た。
「おぅ尚貴!」
パックンは皆んなを呼びにいき私は校舎の正門に廻ると懐かしい友達がいる。
不良になってイキり出したというとくに仲良くなかった奴や番長グループの方が優しく親しげに孤独感いっぱいだった私に接してくれた。
「尚貴!今、キックボクシングかなんかやってんの?」
逆に仲良かった友人Kやバカ岸田は話かけてこないのが不思議だった。
番長グループは小学校が一緒で懐かしかったのか。
友人Kやバカ岸とは中学の一年だけの付き合いだからなのかも。
小学同級生の方が小さいときから5〜6年毎日毎日顔合わせてたわけで・・・
後に友人Kやバカ岸とはさらに深くなっていくのだが。
中3の時、明らかに衝撃的な事があった。
実父が仕事上の違法行為で逮捕され新聞にも掲載された。
皆んなが高校受験の時期、もの凄い澄みきった全開の青空のようなバカでも適当な工業高校に入学できる時代。
明らかに私の心情、理性、生活を揺さぶる現実。
少年はもうどうしていいかわからなくなる。
奇妙な行動や言動に担任は心配した。
受験勉強など一切せずテストも白紙で出すようになる。
しかし夕刊配達とボクシングジム通いは続けた。
なにものかになりたいという生命力はある。
少年ボクサーに親しくしてくれていたジムのトレーナーが東京に行くというので本気で東京でボクシングジムに入りプロボクサーになろうとも思った。
ジムのトレーナーが東京出身で自営隊体育学校やワタナベジムで一緒に練習させてもらった事があり本気ならどうにか道は開けたかもしれない。
当時どんな動きもできるくらい練習していたが
肉体的成長が遅すぎた。
152センチ、42キロ。
高校の最軽量モスキート(蚊)級でも45キロから
皆んな減量してくるからデカいわけだ。
多少動けてもそれは「パントマイム」にもならない。
でもそれは「いいわけ」だろう。
女の子より線が細く小柄でも
強い意志をもってたり
非常に激しい性格であったり、
生まれつき力が強かったりする人は描いた道を迷わず歩いて行くだろう。
私はただの落ちこぼれの五流の人間にだったと断定する。
実父の逮捕は私が体験する一回目だった。
そうまだ序章に過ぎなかったのだ。
実父はアウトロー稼業の男で今でいうアウトレイジ系の人間だったのを認識、認容するに至ったのはその2年後だった。
そしてまた友人Kに逢いに行く事にした。
続く