写真家・若本俊雄と「白鳥の歌」

独身の頃は、軽井沢、伊豆、釧路、房総半島などに写真を撮りに行ったものだ。そのころに知った写真家の一人に、若本俊雄がいる。1991年、24歳の若さにしてガンで亡くなった。2冊の写真集が残っている。いずれも白鳥がテーマの写真集だ。

若本は22歳で白鳥の写真を撮り始めたが、23歳でガンになる。入院後も悪化し、宣告された余命は半年ほど。もうすぐ死ぬことがわかった彼は、その前に何がしたいかを考え、白鳥の写真を撮りに行った。マイナス20度という猪苗代湖で30kgの撮影機材をセッティングするのはそれだけでも体に応えただろうに、極寒の中で何時間も何時間もただジっと待つのである。それでも、来る日も来る日もカメラを構え続けた。冬が過ぎても、彼は生きていた。暖かくなってきたころにはリハビリも始め、回復の兆しをも見せた。人間の持つ自然治癒力は、現代医療を凌駕する可能性を持つのかもしれない。

次の冬が訪れた。生きているものは、二度と同じことを繰り返さない。シャッターを切らなければ、その一回は二度と現れない。こうして、一瞬と向き合い続けた。頭の中に浮かぶ、どうしても撮りたいその風景を求め、毎日撮りに行った。現れない景色の中で、写真を撮り続けた。厳しい吹雪で周りの仲間たちは帰って行くが、彼は自分にもう未来がないことがわかっていた。白鳥たちも帰って行く。撮れる可能性も、自分の命の可能性も、減って行く。こうして一日が過ぎる。またあくる日も夜中に猪苗代湖に出かける。吹雪の中で機材を揃え、景色が現れることを待っていた。

夜明けギリギリ前。

吹雪がやんだ。

あさぼらけが上がり、見たことのない景色が現れた。オレンジ色が射し、その中に影絵のように白鳥が浮かんだ。

カメラにその風景をおさめた。若本は言った。

「神様が撮らせてくれたんや」

帰って若本は息を引き取った。まさにその一枚は、若本にとっての「白鳥の歌」となった。

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こういう時間の過ごし方。時間の切り取り方。時間との向き合い方。一瞬の在り方が、ありうる。常に肝に銘じたいなんて言ったらキレイごとになってしまう。しかし、少なくとも、自分が自分の意志で何かをするとき。その時々がどのような状況でも、自分の出来ることをまっとうする。「今」をまっとうすることから「次」を、また「次」を、生み出して行きたい。

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