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【文献レビュー】日本の公園の遊具史

 造形遊具とは鉄筋をまげて形を作り、モルタルを直接塗り重ねて製作される屋外遊具である。一般的な鋼製の遊具とは異なり、その出自が美術彫刻にあることが特徴である。

 パブリックアートの研究者の市川は、戦後の日本の公園で彫刻家が屋外遊具を製作するに至った経緯を明らかにしている★1。戦後の復興期に公園が整備され始めた頃、環境整備の一環として公園に芸術を取り入れることが推奨されていた。また、1950年代前半に耐久性の高いセメントが屋外彫刻の素材として注目されていたこともあり、公園では彫刻家集団が野外彫刻展を盛んに開催していた。公園が芸術の場として認知されるにつれて、野外彫刻としてセメントで遊具を製作する彫刻家が現れ始める。このような遊具は「プレイ・スカルプチャ―」(図1)と呼ばれ(以下造形遊具)、エゴン・モーラー・ニールセンが公園に製作した一連の彫刻作品を起源とするものである。

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Egon Møller Nielsen 《Play Sculpture》
スウェーデンの建築家兼彫刻家。スウェーデンの公園に子供のための抽象的な彫刻作品を多く製作した。
出典:The Playground Project Architektur für Kinder

 1960年代前半には前衛派の彫刻家は多くの造形遊具を製作した。イサム・ノグチは大地を隆起させたような遊び場「プレイ・マウンテン」を構想し、そのコンセプトを元にモエレ沼公園から遊具まで様々なスケールの作品を制作した。

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イサム・ノグチ 《ブラックスライドマントラ》
高さ3.6m、幅4m、重さ80t。内部をくり抜いた階段を昇り、短い螺旋の坂を滑り降りてくる形。ノグチ氏が84歳で亡くなる直前の1988年秋、香川県牟礼町のアトリエで完成。(記事より)
出典:札幌デジタル彫刻美術館

また、池原謙一郎6は凹凸のある小さな山のような屋外遊具「石の山」(図3)を製作し、自身が設計した公園に配置した。

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池原謙一郎 《石の山》
地面に大きな起伏をつけるような遊戯空間として複数設計された。
出典: 日本1000公園

 当時「 石の山 」のような形状の遊具が様々な彫刻家によって製作されていたが、中でも1960年代後半に前田屋外美術が製作した「プレイスカルプチャー 石の山」は複雑な曲面で構成されており、製作には高い彫刻技術を要するものであった。

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前田屋外美術 《プレイスカルプチャー 石の山》
当時同社の若手デザイナーであった工藤健による設計。
児童の想像力を掻き立てようと、あえて不可解な形状にデザインしたが、売り込み先の市の職員に、何の形か分からないから頭を付けてタコ(蛸)の形にするように指示されてしまい、後にタコ型遊具になった。
出典:Wikipedia _タコの山_


 このように、造形遊具の発展によって公園の屋外遊具は多様化していった。1956年に制定された都市公園法では画一的な公園の整備が推進され 、遊具は画一化していく流 れもあったが、遊具が多様化する状況を考慮し、1993年に都市公園法は改正され、ブランコ・すべり台・砂場の設置規定が廃止された。(市川寛也 2016,73-80)

 以上のように、日本では戦後から1990年代前半まで造形遊具が彫刻家によって盛んに製作され、公園の遊具は多様な形態を持っていた。安全規準が存在しない時代につくられたそれらの遊具は、遊びの価値を有する形態を芸術的につくるということが重視されていた。しかし、造形遊具が自由に製作される一方で、安全性対策が全くない遊具や、劣化して危険な遊具も数多く存在していた。

屋外遊具の安全規準につづく


評者

中尾直暉 (@_nko_nok)
1997年 広島県広島市生まれ
1999年 長崎県佐世保市で育つ
2016年 早稲田大学創造理工学部建築学科 入学
2020年 早稲田大学創造理工学部・研究科 吉村靖孝研究室所属

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