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靖國神社【東京都千代田区】

概要

東京都千代田区九段北、地下鉄「九段下駅」の1番出口を出てしばらく行くと大きな鳥居が見えます。これが、靖國神社の大鳥居です。
境内は桜の名所として知られている他、「大村益次郎」の像があります。
靖國神社は、大東亜戦争における戦争責任の関連で、中国や韓国との外交上の摩擦の原因となってきました。中国や韓国の気持ちはわからなくもありませんが、あくまで日本国内において、日本の礎を築き、守り抜いた先人への尊崇の念を示す場所であって、諸外国が「軍国主義の復活だ」と言うのはまったくのお門違いです。

靖國神社の大鳥居と社号標
境内に立つ大村益次郎像

由緒

靖國神社は明治2(1869)年に創建された東京招魂社が起源です。創建当時は、日本は260年続いた江戸幕府が倒れ、欧米列強と肩を並べるような近代国家として推し進めようとする過渡期にありました。しかし、250年ほど続いた鎖国状態をやめた後の混乱期において尊王攘夷運動の盛り上がり、薩英戦争や下関戦争において欧米列強と日本の差を見せつけられて、大政奉還、明治新政府の樹立に至ることになりますが、その過程で尽力した多くの志士の尊い命が失われる結果となりました。そこで明治天皇は明治2年6月、国家のために一命を捧げられたこれらの人々の名を後世に伝え、その御霊を慰めるために招魂社を創建しました。
その後、明治12(1879)年に「靖國神社」と改称されました。「靖國」という言葉には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。

御祭神

靖國神社の御祭神は先に述べましたとおり、「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊」を慰めることから、明治新政府樹立より前から国のために尽力した方々となります。したがって、明治新政府樹立に尽力しながらも樹立前に薨去した坂本龍馬や高杉晋作といった「幕末の志士」(維新受難者)、戊辰戦争(旧幕府軍は除く)や西南戦争(西郷隆盛率いる薩摩軍は除く)などの内戦、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変(日中戦争)、大東亜戦争などの国外戦争で、国家防衛のために尊い命を捧げられた方々の御霊が祀られており、その数は246万6千余柱に及びます。

遊就館

遊就館は、靖國神社がお祀りする御祭神の遺品や明治維新から大東亜戦争に至る歴史を展示しています。「遊就館」の名は、中国の古典『荀子』の「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」(現代語訳:立派な品格を備えた人は場所を選び、学ぶのであれば必ず学識を備えた立派な人に教わる)から引用されています。そこには、「国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたい」という願いが込められています。

遊就館

英霊のみなさんの国を守る心に思いをはせる

明治維新から大東亜戦争での敗戦を迎えるまでの政府の方針、特に大東亜戦争を始めたことに対する評価は人それぞれだと思います。大半の人は、「無謀な戦争を始め、多大な犠牲を出した政府の失策」と思われる人が多いでしょう。
結果論としては確かにそうかもしれませんが、当時の情勢は資料に基づき、客観的でしかわかるはずもないし、当時の政府首脳の判断として、それが最善だったのかもしれません。また、英霊のみなさんは「命を懸けて戦うことで、日本をよくすることができる」と信じていたことは間違いないと思います。最悪、本土決戦の可能性も指摘されていた中、我々がこうして生きているのは、英霊のみなさんが日本を守るために戦い抜いたことも理由の一つではないでしょうか。
夏休みには、「我々が生きていること」の意味を考えるきっかけとして、靖國神社、遊就館を見学することを強くお勧めします。

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