#15 「普通の人」が見つからない理由。そもそも普通の人なんていない
「普通の人」が見つからない理由
そんな件名でメールが一通届いた。
開いてみると、婚活サイトからの定期配信メールだった。
「ああ、そんなサイトに登録したことあったなぁ」と思いつつ、確かに「普通の人」ってなかなかいないことに気付かされる。
「普通」ってなんだろう。
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Wikipedia によると、「普通」とは
広く通用する状態のこと。普通の『普』は、「あまねく」「広くーう」を意味する字である。
「出る杭は打たれる」「能有る鷹は爪を隠す」ということわざや、宗教史における異端への残害に象徴されるように、社会の中で特別な者や奇異な者は時に袋叩きに遭い、普通であることや平庸であることが求められる。しかし、単に平庸であることは、「ありきたり」「没個性」「長所を持たない」「存在感が小さい」といった厭わしい意味で捉えられることがある。
つまり、「普通」とは存在しないのではないだろうか。
人には何かしらの個性があり、特徴がある。
それがすべてスタンダードであることなんてあるはずがない。
そして、グローバルスタンダードでも各国によって手法や趣向によって異なるように、「スタンダード」もまた各人によって異なる。
それが何によって異なるのか、価値観だ。
価値観によって「普通」が形成されるのであれば、同じ「普通」を共有できるのは自分自身しかいないことになる。
それはつまり、「普通の人」というのは存在していないことになり、その人が見つからないのは仕方のないことなのだ。
それでも「普通の人がいい」というのであれば、自分自身と結婚しよう。
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「普通」を求めるのも間違っている。
とはいえ、「出る杭は打たれる」の考え方が蔓延しているこの日本で、「普通」でない行動をするのは不安で恐ろしい。
であれば、僕たちは何をしていけばいいのか。
何を求めて行動していけばいいのか。
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僕は、自分自身の「普通」を貫くことが大切だと思っている。
そのためには、「普通」であり続けるしかない。
それも、他人が要求する「普通」ではなく、自分自身が求める「普通」で、だ。
・30歳近くになったら結婚するのが当たり前
・人と話をするときは目を見てするのは当然
・一生勉強。常に学びつづけるべき
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でも、これは誰かが決めたスタンダードでしかなく、自分がそれに価値を見い出していないのであれば、別にしなくてもいい。
したくなったときに始めればいい。
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これまでの文脈からすると、「普通」とは、言い換えれば自分自身のもつ「価値観」である。
つまり、普通を貫くことは「価値観」を保ち続けるということ。
そしてそれは、あなたの人生の目的を見つけるための道標となる。あなたのこれからの人生の「ミッション」となる。
ここ数日、散々「ミッション」や「やりたいこと」、「価値観」について語ってきたが、遠回しな言い方をしていただけなのかもしれない。
「普通」であり続ける
すべてはここに帰着する。そんな気がしている。
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たった1通のメールの件名だけで、ここまで思考が広がる。
これは僕自身の特性の一つだと思うし、こんな結論に至るのも僕自身の個性。僕にとっての「普通」なのだ。
だから、それぞれ「普通」は違っている
それがまたいいのだ。
「十人十色」
人の考え方などは、それぞれ違っていること。
みんな違ってみんないい。
出た杭が打たれるのは怖いけど、それを逆に支持してくれる人もまたいる。
僕が週末の早朝にひとり、ゴミ拾いをしていることを変に思う人もいるけれど、「すごい」「なかなかできないよ」「今度一緒にしよう」と言ってくれる人もいる。
そんな風に「普通」を貫いていると、案外その価値が広がっていくこともある。
だから、恐れず、自分の信じる「普通」を極めていこう。
他人の求める「普通」にさようなら。