古宮昇著「傾聴術 ひとりで磨ける“聴く”技術」
好きな本やお勧めな本は数あれど、私が一番「大切にしている」本である。
この本は、私が2008年に児童相談所のケースワーカー(児童福祉司)に着任して4ヶ月後に発売されたものだ。
現在は福祉系の大学などを出ている専門職の方が増えていると思うが、当時はただの行政事務職が人事異動でいきなり児童福祉司になることの方が多かった。
私は児童虐待、非行相談の担当で、児童や保護者への指導や措置をおこなったり、それに付随して施設や里親、学校、警察、保育所、民生委員と連携を図ることが主な業務だった。
マンパワーが圧倒的に足りていないこともあり着任早々に一担当者としてさまざまな相手と対峙することになる。
マニュアルや正解のない仕事でどうすれば良い支援ができるのか、不安と迷いで一杯だった時期に手に取った本だ。
本書には傾聴に必要な姿勢やトレーニング、実践法だけでなく、相談者の心情がきめこまやかに描写されていて、それがとても役にたった。
当時の私がマーカーを引いていた箇所を、一部抜粋する。
虐待や非行の相談は、基本的にクライアント(児童や保護者)が自ら進んで来所することはなく、学校や近隣、警察などからの通報を受けて児相が呼び出す形をとる。
つまりクライアント側に話したいニーズが全くない、むしろこちら(児相)側は敵視されている状態で呼び出し、問題の背景を探るために傾聴を行なっていく必要がある。
そのような児童や保護者は親族や社会から孤立していることも少なくないため、心を開いて誰かに悩みを打ち明け、受けとめてもらえた経験に乏しい人も珍しくなかった。
そのような児童や保護者と時間をかけて、少しずつ関係を育てていくために本書は大きな支えになった。
また本書には、「人を助けるプロとして、私がすごく大切だと思うこと」という小さなリーフレットが挟み込まれていた(現在販売されているものには付属していないようだ)
このリーフレットには、強盗殺人の罪で死刑囚となり、獄中で死刑執行までの7年間、短歌を読み続けた島秋人(本名:中村覚)という歌人のエピソードが紹介されている。
貧困家庭に育った覚は幼少期から病弱で、成績はいつもビリだった。
母は彼が15歳の時に栄養失調と過労で亡くなった。
覚は学校の担任から、「お前は低能児だ」と言って蹴ったり棒で殴ったりされた。
惨めな子ども時代を過ごした覚はやがて犯罪を繰り返すようになり、ある雨の日、盗みに入った農家で主婦を殺し死刑判決を受ける。
獄中で覚は、人生でただ一度だけ褒められた出来事を思い出す。
中学生の時、美術の吉田先生が「きみは絵は下手だけど、構図はいいね」と褒めてくれたのだ。
獄中から吉田先生との間で文通が始まり、先生の奥さんの影響で覚は短歌を詠むようになる。毎日新聞の歌壇で入選を重ね、ついに毎日歌壇賞を受賞した。
死刑執行までの7年間、歌を読み続けた覚は、角膜移植と献体の登録をしたあとこの世を去る。享年32歳。
この島秋人のエピソードを紹介したうえで、古宮氏はこのように述べている。
児童相談所では、覚と同じように悲しい育ちの背景を抱える子どもたち・親たちと沢山出会った。「児童福祉」が必ずしも「子どもの幸せ」と同義にはならない現実の中で、子どもや親たちから怒りや攻撃を向けられたり、私自身が怒りや失望を感じることも多々あった。
毎日がジェットコースターのように感情を揺さぶられる仕事だったが、このリーフレットの言葉が支えになったことで自分なりの最善を尽くせたと思う。
あれから15年、現在も人の変化や成長に関わる仕事ができていること、この仕事に喜びややりがいを感じられるのもこの本のおかげかもしれない。
15年前の自分が引いた沢山のマーカーに励まされている。
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