ニート体質だ
僕はニートではないのですが、「ニートだなぁ」と思うことがままあります。
ニートの定義としては、
ニート=仕事をしていない、教育を受けていない、家事をしていない人
ってとこかな?
一応、短いながらも働いていて、ささやかながら家事も行っているので、定義からは外れるのですが、社会的・経済的にプラスになるようなことをほとんどしておりません。
僕がよく聞いているポッドキャストに「どうせ死ぬ三人」という番組があります。
↑のリンクは最新話になっているようだ。
話題にしたいのはこれより結構前のエピソードですが、探すのがしんどいのでリンク貼り横着します。
このポッドキャスト内でパーソナリティのimuさんが
「1週間の予定がジャンプを読むくらいしかないと労働の閾値がめちゃ下がる」
というようなことをおっしゃっていました。(ちなみにimuさんは自称ニートです)
ニート的に、ダラーっと、ぼーっと過ごしていると、少しの仕事でも「労働」と感じてしまう。普通に働いている人なら一段上がる感覚が、ニートにとっては何十段も上る労力に思えてしまうのかな。
僕はニートではないのだけれど、ニートが保有する労働低域値感覚がめっちゃあるんですよね。
仕事をバリバリとか、プライヴェートをパリピに過ごしてるとかそういうハイレベルな活動はもっての他で、ちょっと外出するだけでも疲れてしまう。
家にいても何かするわけではなく、過ぎて行く時間そのものがお友達のような生き方をしています。
自分の生き方・ライフスタイルを定義するなら「インドア派」というより「ニート感覚」「ニート体質」とした方がしっくりきます。
そんなニート感覚の僕からしたら「noteをまめに更新できる人ってすごく活動力がありますね」って思うのですよね。
普段全く忙しくなくて、ここ数週間ちょっとだけ仕事が入ったことでnoteをはじめとするいくつかのクリエイティヴな活動が疎かになっていました。
「こんなニート感覚な自分って一体なんなのだろう?」
と自分が少しだけ嫌になりつつ、そうでない人への尊敬の気持ちともはや猜疑心と言っていい複雑な感情が湧いてきます。
「自分よりも遥かに多忙なのに更新できる人たちってどういう人間たちなんだろう?
「もはや同じ人間とは思えない」
noteの更新ができないことへの言い訳のような文章になってしまいましたが、きっと自分は活力あふれる人間には変われないでしょう。
活動レベルでは平均的な日本人には到底なれないニート体質ですが、記事の更新をなるべく多めにするとか、始めたシリーズをちゃんと完結させるぐらいの気持ちは持っています。
今日もいい天気ですね。