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長すぎる反抗期なのでTwitterと呼んでいる

いまだにTwitterと呼び続けている自分が不思議で、そのことについてここ数日考えていた。
これだ、これは薄い、これは違う、これはありそう、などと理由の取捨選択をしてみた。
大別すると、2つの力が働いるようだ。
「Twitterと呼んでしまう」という自然的な力、「Xと呼びたくない」という感情的な力。

「Twitterと呼んでしまう」理由として、「今までTwitterと呼んできたからこの名前でないとなんか変」ってのが一番大きそう。
自分が言い慣れていて、他の人にも通じそうで、Twitterでいいよねとなっている。

「Xと呼びたくない」理由としては、反権力の思想が最大だと思う。
地位を持っている人、資産家と呼ばれる人、権力を振るえる立場の人。
そういった人たち全員に発動するわけではないのだけど、そういった人たちと相対すると高確率で反骨精神が出てしまう。
新CEOが就任してすぐに名称を変えてしまったという暴力的な現実に対しては、その名前を拒否するしかない。

「Xと呼びたくない」理由がもう一つあった。
「X」といったら「X JAPAN」じゃん!
「Xにポスト」ってファンレターみたいだ。

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