AIは人を超えるか?そこに愛はあるのか?

こんばんは。なんか某CMのようなタイトルですが、今日放送していた、ある番組が、興味深い内容だったので、それについて書きたいと思います。

あなたは好きな人がいますか?

その番組は、韓国出身のロボット研究者が、研究のためと、家族のために自分
AI(エーアイ)を作るという内容でした。

アメリカの大学でロボットの研究をしている彼には、10歳の息子と奥様がいます。講演会などで家を開けることが多く、家族との時間が取れないでいました。
そこで、自分のAIを作り、自分がいない間、代わりになってくれたらいいと考えていました。しかし、家族は本人が生きているのにAIになっているのは気持ち悪いと否定的(そりゃそうだ)。すると場面が変わって、違う人物の話に。

その方は、数年前に父親を亡くし、失意のあまり、過去の会話から文章を起こし、チャットbotを作りました。初めは父親がいなくなったことを哀しく思って作ったそうで、チャットで会話するたびに胸が詰まる思いだったそうです。その後、人間は肉体がなくても、人間と言えるのだろうか?と考えるようになったそうです。

ここで、初めの人物に戻り、チャットbotのベータ版ができたというので、テストしてみると、質問に対して正確な答えができないという、お粗末な出来具合い。ここまで何月もかかっているが、AIが膨大なデータを一瞬で覚えてしまうとのことで、製作側はかなり大変なのが見て取れます。

その後、数ヶ月かかって、完成し、お披露目では、質問に対して完璧な受け答えができるまでに改善されていました。
最後に、彼の息子がAIに「僕を愛してる?」とお父さんに聞くように尋ねると、、、、

正直にいうと、最後のシーンは見逃しています。
AIがどう答えたのか、正直わかりません。ですが、僕は次のように考えます。

AIとはなんだ。

この番組では、自分のクローンとして、データ化して、あたかも自分と同じように振る舞うものを作っています。実際、前項では紹介してませんが、AIを搭載した、動く胸像を作った方も登場していました。
しかし、AIはいろいろなところにあって、スマホで勝手におすすめが出てくるのも、SiriやGoogle先生、車の自動運転・自動ブレーキもAIと言えます。
今の技術では、そのAIを喋らせる前に、膨大な言葉や、声、考え方のデータを教え込ませないとなりません。それを作るのは人です。
少し前に、日本でも手塚治虫先生の新キャラを、AIが作ったとニュースになりましたが、それも、過去の手塚先生の絵をAIに覚えさせて、特徴を覚えさせたからできたもので、初めのデータもそうですが、それを覚えたあと、人物と認識させるのが大変だったと、言っていたのを覚えています。

チャットbotであれば、人間が過去のデータをもとに、ひたすらデータを作り、AIに覚えさせ、トライ&エラーを繰り返し、本人に近づける。というやり方で創る事ができます。これって、人間の学習と同じですよね。過去のデータってところが違いますが。亡くなった人ならここまでですが、生きてるならAIも成長できるかも。ただ、人間と違うところも。
それは、五感のうち、触覚・嗅覚・味覚が感じられないこと。(違ってたらごめんなさい)ここは人間とは違う部分。僕がAIなら、この3つは感じたいですね。

肉体があれば人間か?

番組の中で、人間とAIの境界線は肉体なのか?という問いのようなものがありましたが、僕には、哲学的なことはよくわかりませんが、人間ならやっぱり肉体は必要でしょう。AIは人間にはなれないと思います。
しかし、前述の胸像タイプのAIの会話の中で、オリジナルの人間の行動を羨む発言があったので、高度なAIは自我が目覚めるかもしれない、そして、その瞬間に人に近づくのではないか、と考えてしまいました。
現在の技術で創るAIは、完全なクローンを創ることではなく、限りなく人間に近いものと、僕は考えます。

AIに愛は理解できるか?

番組の最後ですね。
息子さんに何て答えたのか。
僕は、「わかりません」だと思います。
なぜなら、「愛」と一言で言っても、日本語ですら、多くの意味を持つのに、愛してるという意味を理解するプログラムは、作れないと思います。だって、それを作る人間が「愛」を理解していないのだから。

コンピューターを作ったのも人間なら、AIを作ったのもまた人間。


最後に、僕はAIの知識はほとんどありません。ただのニワカです。

したっけ!


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