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『Pokémon LEGENDS アルセウス』はポケモン版なろう系?

 この文は木村直輝が個人的に書いたものです。
 また『Pokémon LEGENDS アルセウス』の「ネタバレ⚠」などを含みます。


 2022年1月28日(金)発売――。
 『Pokémon LEGENDS アルセウス』をご存じでしょうか。

 私はヒスイ地方に行く直前まで全く気乗りしていなかったものの、コトブキムラに着く頃には既に大興奮でドハマりしてしまいました。


 さて、その序盤――。
 私は「なろう系(笑)?」と思ったのですが、やはり私以外にも同じことを思った方は多かったようで。

 この記事では私の、「なろう系?」に着目した序盤の所感を語らせて頂きたいなと思います。
 無知と無学と無教養に富んだ、ポケモンが好きなだけの稀人まれびとの文章ですが、どこかのポケモンが好きな誰かと通じ合えるところがあればうれしく思います。


【ゲームについて】

https://editor.note.com/notes/ndcfc464a138b/edit/



~前置き~


1.主人公補正が強いシリーズ


 「ポケモン」というゲームはモンスター級の人気シリーズですよね?
 なので、[子供向け]や[普段ゲームをしない人向け]という側面も強くあるはずで、ターゲット層が非常に広いゲームだと思います。

 それもあって、「主人公補正」が強調されがちといいますか、主人公が「すごい!」とちやほやされがちという面があると思います。

 基本的に、ヒトは褒められると気持ちがよくなる生き物でしょう。
 そして、気持ちがよくなる行為には、無意識的なレベルでやる気が生じる仕組みを持っているはずです。
 なので、[集中力が未熟な層]や[ゲーム慣れしていない層]が対象だと考えた時、この「主人公補正の強調」は非常に価値がある点なのだと思います。

 ――もちろん。
 実際、短期間でチャンピオンにまで上り詰めたり、その間に伝説のポケモンが絡んだ大組織による陰謀を阻止したり、果ては伝説のポケモンに認められゲットできてしまったり、主人公は本当にすごいんですけど。
(「LEGENDS」のような派生作品でも基本同じ、主人公はすごい)

 ポケモンの主人公は「平凡な無個性主人公」という面が強いと思います。
 これには、プレイヤーが主人公に自分を重ねて感情移入しやすい、世界に入り込みやすい。
 さらには、「主人公補正の強調」の恩恵も大きいなど、多くの価値があると思うのですが。

 だからといって、「普通の人がすごい!」というのは説得力が弱いように思えます(単なる天才だったのかもしれませんが)。
 もちろん、ポケモンやポケモンバトルなどへの愛という「純粋さ」がすごさの理由として挙げられていますし(それもある種の才能?)。
 それは『ポケットモンスター』シリーズにおいてほとんど一貫したメッセージであり、ポケモンに限らず多くの作品で見られる、王道のメッセージでもあるように思えます。

 ただ、この辺を割り切れずに「子供だましだ」と感じる人が一定数いるというのは、自然なことかなとも思います。
 そしてそれは、『ポケットモンスター』シリーズの一つの弱さだと言えると思います。
 もちろんこれはポケモンに限った話ではなく、物事は往往にして一長一短だとも思うので、ポケモンを批判しようという話ではありません。

 結論として、ここで何が言いたいのかというと――。
 「主人公補正の強さ」は『ポケットモンスター』シリーズにとって重要な強みであり弱みでもある、と私は思っています。

 ――ということが言いたかったのです。



2.なろう系とは


 「なろう系」という言葉をご存じでしょうか?

 小説投稿サイト「小説家になろう」に代表されるような、近年のインターネット小説で流行っている系統の物語を指す通称です。

 最近こそ相次ぐアニメ化などで広い層に受け入れられつつあり、この言葉も他意なく使われるようになってきている印象ですが。
 元もとはもっぱら揶揄として使われていた言葉であり、ネット発祥の定義が曖昧な俗称です。

 ざっくり言えば、主人公がリアルな世界から異世界に迷い込んでしまう「異世界転生(・転移)もの」や、主人公が無双したりモテまくる「チート」・「俺TUEEE!」・「ハーレム」といった要素をもつ作品群を指すことが多いと思います。

 ――詳しく確認したい方は下記をどうぞ。


 さて、「なろう系」は元もと揶揄の意図が強い言葉だったと説明しましたが、何が揶揄されているのかと言えば、その要点の一つは「主人公補正の強調」だと思います。

 リアルな世界で生きていた平凡な主人公、むしろ上手くいっていなかった主人公が、異世界への移動というきっかけを期に成功を掴み取る。
 主人公がすごすぎる力を得る「チート」しかり、主人公が無双する「俺TUEEE!」しかり、主人公がモテまくる「ハーレム」しかり、その都合のよさが主な批判の対象だと私は理解しています。

 「なろう系」という言葉が揶揄として生まれたくらいですから、それらを酷く嫌う方がたくさんいらっしゃるということは事実だと思います。
 そして同時に、大ヒットしている人気作もあるというのもまた事実であり、ファンの方も大勢いらっしゃるということもまた事実だと思います。

 つまり、この「主人公補正の強調」「なろう系の強みであり弱み」と言えると私は思います。

 これは、1で語らせて頂いた「ポケモンの強みであり弱み」と似ていないでしょうか?
 もちろん、大きな括りで見た一要素の共通点でしかないのですが。

 前置きが長くなってしまいましたが――。
 この共通点に着目して、『Pokémon LEGENDS アルセウス』の序盤の所感を語らせて頂きたいなというのが、この文を書き始めた動機です。



~本題~


3.「LEGENDS」の序盤

序盤の重大な ⚠ネタバレ⚠ があります


 『Pokémon LEGENDS アルセウス』――。
 このゲームはなんと、創造神(?)との対話から始まります。

 スマートフォンを持った主人公と創造神(?)が、時空を超えて対面。
 そして異世界(?)、ヒスイ地方へと落とされます。スマートフォンと共に。

 さらにはその、主人公のスマートフォンが(たぶん)、十中八九創造神(?)の仕業であんまりスマートではないスマートフォンに改造されてしまいます。
 パソコン通信もなさげな時代で、これはある種の「チート」です。

 主人公が元いた世界については全くわかりませんが、少なくとも彼ないし彼女はポケモンに慣れている様子。
 恐れることなく近づくことができ、捕獲やバトルができます。

 ポケモン世界の人でなくとも、ポケモンのゲームをプレイするような多くの人にとってこれは、当たり前のことでしょう。

 しかし、このヒスイ地方ではそれが当たり前ではありません――。



4.「LEGENDS」の主人公補正


 この世界の人たちは、ポケモンとの距離感が独特です。
(少なくとも今までのシリーズと比較してですが)

 一般的なポケモンと人間の距離感は、これまでと比べると、私たちの世界でのヒトとそれ以外の動物との距離感に近いように思えます。

 拠点となるコトブキムラの様子は、江戸時代などを思わせる古風で和風な町並み。
 明治時代を思わせる近代よりの雰囲気も垣間見えるように感じますが、まだまだ現代に比べると未発達な印象です。

 なので、現代よりも自然との距離感は近いように見えます。
 そして、ポケモンから素材を得たりしているので、ポケモンが身近でないということはなさそうです。

 ですが、一部の役職の人たちを除けは、ポケモンとパートナーという形で共存している人はほとんどいない様子。
 ――モンスターボールもまだ、開発されたばかりだそう。

 それどころか、ポケモンに襲われて怪我をしたり命を落とすという話もあり、ポケモンは危険な生き物という考えが基本のように思われます。

 つまり、ヒスイ地方の人たちにとってポケモンは「身近だけど危険な野生動物」としての側面が強いようなのです。

 ラベン博士は物語の序盤、主人公にこう語ります――。

ポケモンは こわい ものです!

どのような能力のうりょくめていて
どういった不思議ふしぎなことが できるのか
さっぱり解明かいめいされていないのですよ

ラベン(ポケモン博士)

 そんな世界で、主人公は恐れもせずにポケモンに近づいていき、慣れた様子でゲットしたりバトルしたりできてしまうのですから、当然ちやほやされます。
 溢れんばかりの「主人公補正」

 「すごい!」んです、主人公は。



5.「LEGENDS」の厳しさ


「あまりよらないで」

ソヨ(コトブキムラの老婦人)

 これは、私がまだコトブキムラに着いたばかりの頃、ムラの人から言われた言葉です。
 驚いたでしょうか?

 前述の通り、主人公は異世界(?)からこの地方へやって来ました。
 つまり、この地方の人たちにとって得体の知れない存在なのです。

 しかも、ここは現代の大都会ではなく古風な村。
 近所の人との繋がりや慣習を守る意識も強いことが予想されます。
 そんな中に、異端の余所者が混ざれば目立つのも当然です。

 それ故に、このようなことを言われるのでしょう。
 現代日本の一般的な価値観から言えば許されないことかもしれませんが、彼女たちも安全に生きるのに必死であり、「あまりよらないで」はそんな一人の村人が口にした心からの悲痛な叫びだったのではないでしょうか。

 そう。主人公は「よくわからないモンスター」と変わりなく、それは正にこのヒスイ地方における「ポケモン」と重なるのです。

 とはいえ、主人公のポケモンを捕獲する能力は、少なくともこの地方では「すごい!」もの。
 それを評価され、調査隊や団員として活動することになるのですが……。

 最初はこんな言われようですし、もし入団試験に受からなければ――。

 ――最悪、野垂れ死に。
 こんなこと、今までの「ポケモン」シリーズであったでしょうか?

 もちろん、主人公の活躍によって、次第に多くの人たちが主人公を受け入れてくれるようになりますが。
 それでも、やはり主人公に対する不安を払拭し切ることはなかなかできません。

 ここでもう一度、ラベン博士の言葉を引用させて下さい。

ポケモンは こわい ものです!

どのような能力のうりょくめていて
どういった不思議ふしぎなことが できるのか
さっぱり解明かいめいされていないのですよ

ラベン(ポケモン博士)

 「よくわからないものはこわい」
 LEGENDSを通したヒスイ地方の冒険には、そんなヒトの「厳しいリアル」があるのです。



~結論~


6.「LEGENDS」はポケモン版なろう系?


 どうでしょうか?
 「異世界転生もの(正確には転移)」であり「チート」能力で「俺TUEEE!」要素のある「LEGENDS」は、まさに「なろう系」という感じがしませんか?
 これで最近流行の「追放もの」要素まであれば、より完璧なのですが…………。
 余談はさておき。

 私は、「LEGENDS」はポケモンがなろう系を作ったらこうなるという一つの完成形のように思えます。

 そして同時に、今までの「ポケモン」シリーズにあった「主人公補正という強みと弱み」という課題に対する一つの回答のようにも思えるのです。


 「主人公補正」が与えてくれる直接的な恩恵、それは[気持ちよさ]でしょう。
 「LEGENDS」はこの、「[気持ちよさ]と[厳しさ]のバランス」が絶妙だなと感じます。

 この点に着目して、序盤の展開を振り返ってみましょう――。

 まず、神と出会い異世界に送られるという、選ばれし者にでもなったかのような「主人公補正」による[気持ちよさ]
 そして、当たり前のことを当たり前にできるというだけで、すごく褒めて貰えちやほやして貰える「主人公補正」による[気持ちよさ]
 自分がこの世界では特別で、だからこそ褒めて貰えるという「主人公補正」による[気持ちよさ]

 こうした「主人公補正」による[気持ちよさ]が、綺麗なグラフィックや美麗なサウンド、(ポケモンにしては?)自由度の高い操作性、そして新し旅立ちへのわくわくなどとの相乗効果で「LEGENDS」はとても[気持ちよ]く始まります。
 ゲーム、言い換えるならば娯楽に求める「気持ちよい理想」がそこにあるのです。

 しかし、その直後に主人公は[厳しさ]に直面します。
 特別だからこそ恐れられ、疎まれ、明日の日常さえ危ぶまれるという「厳しいリアル」もまた、そこにはあるのです。

 これが逆であれば、一気に先へ進む気力が失せてしまう人も多かったことでしょう。
 しかし、最初に[気持ちよさ]をたくさん与えて引きつけてから、[厳しさ]を与える展開であるため、心が折れずに済むのです。
 この「理想とリアルのバランス」、つまり「[気持ちよさ]と[厳しさ]のバランス」が私は絶妙だなと感じました。

 ただ、ここまではある種のお約束。王道であり、ありふれた演出でしかありません。
 「LEGENDS」のすごさはここからです。



7.「LEGENDS」という回答と普遍のテーマ


 主人公がこの世界で最初に出会った人、ラベン博士は持ち前の純粋さで主人公のことを最初から受け入れてくれます。
 彼もまた他の地方からやってきた部外者だから、というのもあるのかもしれません。
 しかし、何よりラベン博士はポケモン博士です。
 しつこいようですが、彼は言いました。

ポケモンは こわい ものです!

どのような能力のうりょくめていて
どういった不思議ふしぎなことが できるのか
さっぱり解明かいめいされていないのですよ

ラベン(ポケモン博士)

 彼はハッキリ「ポケモンは こわい ものです!」と言っています。
 それにもかかわらず、ラベン博士は「わからないから怖いポケモン」をわかろうと向き合う人なのです。
 そんな彼だからこそ、正体不明の不思議な主人公ともちゃんと向き合ってくれて、その能力を評価してくれたのではないかと私は思います。

 そんな彼から始まって、主人公は少しずつこの世界の人たちに認められていきます。
 それはもちろん、主人公が頑張って活躍したからというのが大きいでしょう。

 ですが、「わからないから怖い人」として受け入れられていない主人公が、それでもこの地で頑張ることができたのはなぜでしょうか。
 もちろん、主人公の強さや純粋さもあったでしょう。
 ですが何より、ラベン博士を始めとした理解者が、協力者が、心の支えとなってくれた味方がいてくれたからこそではないでしょうか。

 現実でも人生には、[気持ちよさ]と[厳しさ]があって、時に強い[厳しさ]に直面することもあると思います。
 そして、そんな時に心の支えとなってくれる味方がいてくれるかいてくれないか、その差は大きいのではないでしょうか。
 それはとてもリアルな話だなと、私は思います。

 これも「[気持ちよさ]と[厳しさ]のバランス」の話ですね。私は「LEGENDS」のそれが絶妙だなと感じました。
 そしてこれが、今までの「ポケモン」シリーズにあった「主人公補正という強みと弱さ」という課題に対する一つの回答のように思う理由です。
 [厳しさ]を一時的なスパイスとして使うのではなく、ずっと残していくという手法。
 そこにあるリアルが、「主人公補正」を単なる都合のいい[気持ちよ]いものではなくすのです。

 そして、それは単なる演出にとどまらず、「LEGENDS」という物語の。
 もっと言うならば、「ポケモン」という作品に息づく長年のテーマとも深く関わっているように思います。

 「よくわからないものはこわい」という人間の普遍的な感覚。
 それは生きていくために大事なものではあるけれど、同時に一緒に暮らすものたちを傷つけ、傷つけ合うことにも成り得るというこわさつらさ悲しさ
 そんな「こわいものとも、しっかりと向き合おうとする純粋さ」意味

 そういったものを、私は『Pokémon LEGENDS アルセウス』に感じています。



~ごあいさつ~


 読んで下さり、ありがとうございます。
 不快でしたら、申し訳ありません。


 色色、語ってしまいましたが……。
 『Pokémon LEGENDS アルセウス』は純粋に面白いです!
 ヒスイ地方にいると、気づけば何時間も経っています!
 私はヒスイ地方が体質に合わないようなのですが(3D酔いする)、それでもすっごく楽しいです! ずっといてしまいます!

 なので是非とも、みなさんにもヒスイ地方に行って楽しんで頂きたいなと思います!

こちらから▼

 そして――。
 ヒスイ地方の人たちにとって、「よくわからないからこわいもの」である主人公ポケモンという存在が、主人公とポケモンやその地に生きる人たちの活躍、営みによってどう変化していくのか。
 それを目の当たりにして、みなさんはどう変化するのか……。
 そんなことにも意識を向けて頂けたら、感慨深いかなぁなんて思ったりもします。


 最後になりますが――。
 素敵な出会いを下さった『ポケットモンスター』に関わる全ての方、ありがとうございます。

 改めて――。
 読んで下さった方、ありがとうございます。

 すべての貴方とポケモンのこれからが、幸せなものでありますように――。


二〇二二年 二月 四日
木村直輝



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