第2話「目覚めたならクラース」
ドタァーン! と大きな音を立ててオオダヌキが倒れた。
「ふははははははは! 気持ちがいいなぁ、誰も俺をはばめないというのは……」
俺の通った後には、数多のもののけの死体が転がっていた。
俺は今や、念じるだけでもののけを呪い殺すことができるのだ。
「はぁー。気持ちがいい気持ちがいい」
という言葉とは裏腹に、俺の心は曇っていた。
「……ここは。ここはどこだー!」
そう、俺は黄泉蔵で道に迷ってしまったのだ。この辺は入り組んでいて迷いやすい上に、いつも先頭を歩くルクスも、来た道を把握する役のルチアやイグニスもいないから、俺一人では迷ってしまうのも無理はない。
「はぁ。よっこらせっと」
俺は、洞窟のような黄泉蔵の地面から突き出している手頃な石を見つけると、腰掛ける。硬くて座り心地はイマイチだが、地べたに座るよりは気分的にマシだ。
「腹が減った……。喉が渇いた……」
しかし、なんの荷物も持っていなかった俺は、空腹を満たす物も喉の渇きを潤す物も持っていなかった。こんなことなら、非力とはいえ少しの食糧くらい持っておくんだった。このままでは復讐を果たす前に死んでしまう……。
「それは嫌だー!」
「嫌です!」
俺の控えめな叫びとほとんど同時に聞こえた女の子の声に、俺は辺りを見回した。しかし、目に映るのは黄泉蔵のごつごつとした壁ばかり。
俺は立ち上がると、ゆっくり声の主を探して歩き出す。
そして、角を曲がれば角がある、入り組んだ黄泉蔵のその角を三回ほど曲がった先の岩陰に、いくつかの人の頭を発見した。
「お嬢ちゃん。約束したでしょぉ? おじさんたちの言うことちゃんと聞くって」
「そうだよぉ? 大丈夫。おじさんたち慣れてるから、痛くしないって」
「そういうことじゃないです! そういう意味だなんて、思わないじゃないですか……!」
「それはお嬢ちゃんが甘かったんだから、おじさんたちは知らないよ」
「これで一つ、大人になったね。もっと大人にしてあげるよ。ヘヘヘヘヘ」
どうやら数人の男たちが、いかがわしいことをしようとしているようだった。
「おい、お前! 何の用だ!」
突然、そう声がして、俺は背後から腕を掴まれる。
「わっ、あっ、いや。なんか騒がしいから、どうしたのかなって……」
「お前っ。いや、何でもない。あっちにいってろ」
男は俺をじろじろ見ながら、腰に差している太刀の柄を手で撫でた。
「おい、どうしたぁ~?」
「何でもない! 部外者が近づいてきただけだ」
「あ~、仲間に入りたいんじゃねぇか~?」
そう言って岩陰から男たちがこちらを見てきた。
「おぉ? お前、ルクスと組んでるアモールじゃねぇか!」
「ああ、ホントだ。どうしたー、こんなところに一人で。もしかして、ついに仲間に見限られて見捨てられたかぁ? ゲハハハハ、あっ!」
俺は男の言葉に、いくらか落ち着いていた憎しみを逆なでされ、咄嗟に呪い殺した。
「おっ、おい! どうした、ファルス。うううっ、うぐっ!」
「おい、何してんだよぅ……、うっ!」
「おっ、お前ら? 何ふざけてっ……、ぇぇっ!」
俺は全員を呪い殺すと、ヤツらに背を向けて歩き出した。
くそっ! ムカつく……。くそがっ! ザコのクセしやがって!
「待ってください!」
俺が怒りに身を震わせながら振り替えると、そこにはまだ幼さの残る少女がいた。
ルチアほどではないが、とても可愛らしい。栗色の髪を肩くらいまで伸ばした彼女は、黄泉蔵夫 というより普通の村娘という感じの服装だった。
「あのっ! ありがとうございます!」
「……ああ。べっ、別にお前のためにやったんじゃないよ」
はらわたが煮えくり返りそうだった俺は、なんとかそれだけ言うと、再び背を向けて歩き出そうとした。
「待ってください! あの人たち、どうなっちゃったんですか?」
「は?」
振り返った俺は、ぎょっとした。少女は自分が助かったというのに、目に涙を浮かべて俺を見ていたのだ。
「死んで、ないですよね?」
「……ああ。ちょっと、気絶してるだけだよ」
俺は、嘘をついた。
「よかったぁ……。あっ、私、クラースっていいます。あの人たちが、ちゃんといい子にして大人しく言うこと聞くなら黄泉蔵に連れてってくれるっていうから、連れてきて貰ったんですけど。あんなことになっちゃって……。お兄さん。助けてくれてありがとうございます」
「……はぁ」
マシンガンみたいに喋る少女の言葉を浴びて、俺は思わず鳩が豆鉄砲でも食らったみたいな顔をしていたかもしれない。
「あっ、ごめんなさい。私、いきなりこんな自分のことばっか喋っちゃって。お兄さん、アモールさんに似てますよね? あの有名な、ルクスさんたちと組んでらっしゃる! 私アモールさんの大大大大贔屓筋 なんです! でも、まさか、ご本人なわけないですよね……? って、ごめんなさい! 助けていただいたのに、失礼ですよね。私ったら……、へ?」
楽しそうに喋る少女に何度目か背を向けようとしていた俺は、彼女の言葉に驚いて振りかえる。
「俺の、贔屓筋?」
「……えっ。もしかして、本当に、本物?! そうです、はいです、その通りです! 私、アモールさんの贔屓筋なんです! あっ、待って。髪、崩れちゃってますよね。やだ、せっかくアモールさんに会えたのに……」
少女は別に崩れてもいない髪を必死に直している。なんか、可愛い。
俺はふと思い立って、訊いてみることにした。
「俺さ、実はわけあってルクスたちと別行動しててさ。でも、あいつら俺に食料渡してくれなかったんだ。酷いよな。君、なにか食べる物持ってない? 後、飲み物もあれば……」
「わー……。おにぎりと緑茶なら持ってますよ! 私が握ったおにぎりなんです! あぁ、嬉しい。私が握ったおにぎりを、アモールさんに食べていただけるなんて……」
「そうか。そんなに言うなら、遠慮なく食わせて貰おうかな」
「はい! もちろんです! でも、アモールさん?」
「ん?」
急に眉間にシワを寄せてズカズカと俺に寄ってきた少女が、そんなに背の高くはない俺よりも、もっと小さな体をぐっと伸ばして、力強い笑顔で俺の顔を見上げると言った。
「――私は君じゃなくて、ク、ラ、ー、ス、ですっ!」