「余白を読み取る」ことが苦手です
僕は考察する・推理する、というのが多分苦手です。
多分ですけど。
例えば、映画やドラマにおいても、最近やたらと「視聴者に考察させる、意図を読み取らせる」系の話が多くないですか?放送後にはSNSで考察合戦。
あれが僕は苦手です。だって考察できないからです。
決してそれらの物語が悪いとは言ってなくて、むしろそっちのほうが作品として上なのかもしれません。余白を読み取らせるというか、なんというか。
自分は残念ながら、見たまんまに受け取って、それを面白い・面白くないでしか判断できないんです。想像力が欠如しているんでしょうか。
だから結局、話を最後まで見てもよくわからなくて、「え??結局なに?どういうこと?」てなる。
考察できないからSNSを開いて、そこに並ぶ投稿を見てやっと、物語の意図を知る。作者でも友達でも何でもない見ず知らずの匿名のアカウントから教えてもらう。しかもその投稿も結局正解かはわからない。
なんかそれがめっちゃ消化不良。「いいから作者が1から10まで全部教えてくれよ!」って思っちゃう。
先日好きな小説家として朝井リョウさんを紹介しました。
その好きな理由の一つが、「人間の奥深くに眠る感情を、自分が気づいていない部分まで表現してくれるから」です。
これは言ってしまえば、「考察させる」とは真逆の状況。自分の思考が行き届かないような部分まで、文章にしてくれる。自分で考えさせる暇すら与えない。
この感じが自分は好きでたまらないんです。
てなわけで以上です!