音育
今回は番外編。
自分を構成するものの
一つに音楽がある。
僕の中で洋服は
1.自身の気持ちや気分を表現する
2.それを提案する商売道具
洋服は主にアウトプットを担っている。
一方で音楽は完全にインプット。
演奏出来る訳でもないので、
ただ聴いて、ただテンション上げる。
何を聴くかはその時の気分や自身のトレンドが
大きく左右する。
最近気がついたのは、幼少期に聴いてた音楽が今でも大きな影響を及ぼしているということ。
今回はそのことについて書いてみようと思う。
○はじめに
CDをMDやカセットへの
"ダビング文化"を経て
今ではサブスク時々レコード
夏にはフェスに行き
耳と身体で音楽を感じるのが大好きな僕は
幼少期に両親からの音楽教育
略して"音育"を受けてきた。
◯Papa in the house
郊外生まれ郊外育ちの
僕にとってはメインの移動手段は車だった。
父は昔から車が好きで
2〜3年に1回乗り替えていた。
携帯電話かよと思うほどたくさんの車を僕が幼少期の頃から乗っていた。
そんな父がよくグローブボックスから
CDのケースを出して選曲をしていた。
あまり家族内の会話が多くなかったので、
僕は自然と音楽に耳を傾けることが多かった。
気がつくとよく口ずさんでいたので
幼少期の音楽は今も耳に残っている。
TUBEにサザン、大黒摩季など当時の
人気アーティストは一通り聴かされていた為、
勝手に歌詞やメロディを覚えていった。
覚えて自信がついてくると、
ボリュームが大きくなってしまい
注意されてたこともよく覚えてる。
サザンオールスターズ:『海のYeah!!』
◯Mama in the house
母は男性のアイドル系統をよく聴いていた。
今でこそ嵐のファンだが、昔は一世風靡セピアというダンスグループを追いかけてたらしい。
(一世風靡セピア=1980年代に活躍した男性路上パフォーマンスユニットで哀川翔や柳葉敏郎が所属していた)
当時は不良が格好いいという風潮があって、
ビーバップハイスクールなどのヤンキー漫画や尾崎豊をはじめとする反社会的なカリスマが
若者に支持を受けていた時代を母は過ごしていて、その影響でよく耳にしていた。
僕が最初に買ったCDは
尾崎豊の「愛すべきものすべてに」だった。
それを僕はカセットへダビングして
持ち歩いて頻繁に聴いていた。
ちなみに盗んだバイクで走り出したことはないが、友人の原付を半回転宙返りさせて壊しかけたことはある。
尾崎豊:『愛すべきものすべてに』
◯アイドル=TVスター
当時のアイドルといえば
SMAP、V6やKinKi Kidsが出てきて、
幼稚園の頃にはKinKi Kidsのフラワーで踊った記憶があるし、モー娘。の振り付けを真似していた。
テレビでも
「SMAP×SMAP」
「学校へ行こう!」
「堂本兄弟」
「うたばん」をよく観ていた。
キラキラしているけど
バラエティにも出ていて、
面白い印象はこの当時からあった。
小学生〜中学生のテレビ全盛期は
歌番組と友人たちに置いていかれない程度のバラエティとアニメに没頭していた。
「音楽を聴くとなんだか元気をもらえる」と
自覚し始めたのもこの時期からだ。
フジテレビ:『ビストロSMAP』
◯音楽を流すことで間を埋められる
前途したように、
家族内の会話が頻繁ではなかった。
そこで音楽やテレビを流しておくことで無音がなくなり、賑やかな空間を演出していた。
音楽を聴くことで虚しさを自然と埋められていたような気がするし、
今の移動時間で音楽を聴く感覚に近かった。
そうやって音楽が無意識なうちに幼少期から身近な存在となっていた為、
他の同世代よりも知っている曲が古いことが
しばしばある。懐メロがずれている。
僕にとっては懐かしいと周りの懐かしいに
ズレが生じる。
僕の周りには音楽好きが多い。
携帯が当たり前にある世代にとって音楽は
とっても身近であり、趣味嗜好も異なるので
とても面白い。
家族の空気を循環してくれる音楽
友人との距離を詰めてくれる音楽
世代間ギャップを埋めてくれる音楽
音楽はあらゆる間を取り持ってくれる。
○さいごに
「これが正解」みたいな一般論に対して
それ以外は不正解として叩く風潮があるみたいだが、
自分が親しんできたカルチャーから来る好みは
誰も否定出来ないし否定しちゃいけない。
この記事を読んでくださった方々が
過去の自分を否定することなく、
自分自身を承認して、他者を理解し
争いのない世の中になることを
祈っている。
○自分への教訓
1.自分の好きは何がなんでも大事にする。
2.食わず嫌いはもったいない。まず試す。
3.他者の好きも否定せず自分を大事にするように相手のことも大事にする。
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