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勝手に自分Wikipedia


名前
NaoK!(なおき)

生年月日
1996/08/18(23)

趣味
読書・スポーツ・映画鑑賞

普段はReady at Dawnのドラマーとして活動中。
影響を受けたドラマーはUVERworldの真太郎氏、CROSSFAITHの天野 達也氏。

TwitterとInstagramは上記から。

2020年はReadyのドラマーとして勢力的に活動するのはもちろん、ドラムのサポート業なども挑戦したい。ポートレートとか被写体活動もやってみたいし、やりたいこと、挑戦したいことが多過ぎるので「一緒に楽しいことしようよ!」という方は下記に連絡ください。

fukuchan.drums.0818@gmail.com

さて、簡単な自己紹介は終わったので此処から先はもっと僕の事を知りたい方へ。


誕生から幼少期

1996年8月18日
群馬の病院?にて埼玉県の仲睦まじい両親の間に長男として生を受ける。名前はなおき。漢字で書くと直生。真っ直ぐ生きてほしいという両親の想いがたっぷり詰め込まれた良い名前を頂戴した。

小さい頃は特に記憶がある訳でもなくちらほらあるくらい。父さんがウルフルズのMVを見せてくれて、それを聴きながらアコギを担いで真似っこしてたりもしたっけなあ。

小学生時代

小学生になり、僕にも友達や好きな子もできた。それなりに楽しい日々を過ごしたし、今でもなくならないプチいじめを受けたのもこの時期だ。特に何かした訳でもないのに避けられるのだ。僕はめちゃくちゃ嫌だったから主犯格に面と向かって「やめてくんない?」と言ったことがある。殴り合いになることも覚悟の上だったが、多分そいつは驚いたのかな、その日からいじめはなくなった。一歩踏み出して想いを伝える大切さを此処で学んだ。

そして丁度この時期、父さんにLOST IN TIMEという日本のバンドのライブに連れて行ってもらい始めた。初めてバンドのライブへ行った。
此処から、僕のアーティスト人生は始まっていたのかもしれない。
父さんありがとう。(ドラムが家に来たのはこの辺の時期)


中学生時代

そのまま中学に進学。何故か「バスケがしたいです」となり、バスケ部に入る。とても厳しく毎日が練習。今考えればドラムなんてできない。趣味になってしまった。この時に出逢ったのが今でも大好きなUVERworldだ。バスケをやり終わったらドラムと向き合いたい。バンドやりたいと思うようになった。彼等に出逢い「音楽で生きていきたい」と思えたのだ。
当時、楽器をやっていた友達とコピバンをやってみて、遂に町内会の催し物の一つとしてバンド演奏できることが決まった。

人前で初の演奏だ。こんなワクワクする経験をさせてもらえる自分は幸せ者。さあ頑張るぞってなったのだが、結果を言えば3回やり直した。フロントマンが「さっきのとこ違うよ!また頭からやろう!」てやり直すの。こりゃあ、すごい経験だよね。これ以来、バンドやっててあの時以上に恥ずかしい事はないと思ってバンドできてる。ありがとう。

先程バスケをやっていたと書いたが、バスケ部の顧問は厳しいで有名な生活指導の先生。その方に引退式で「なおきが今まで部活をやっていて自分の意見が通らなかった時があったと思う。それはお前が周りの誰よりも大人だったからだ。」と言われたのは今でも覚えている。その先生が僕の色紙に書いていたのは

「別れを悲しむより、出逢えたことに感謝しなさい。良き出逢いを!」

である。此処で人との繋がり、出逢いに感謝して生きることへの大切さを学んだ。


高校生時代

受験を勝ち抜き、第一志望の高校へ進学。もちろん軽音部へ入部。体験入部の時に先輩が言っていた「バンド初めてもモテない奴はモテないから!」という言葉、まさにその通りだった。
たくさんコピバンやってオリジナル曲もやった。この時期に僕は日本のメタルバンド、CROSSFAITHに出逢う。そこからメタルを聴き漁り、今のドラムスタイルが形成されるきっかけとなった。

高校時代は熊谷ヘブンズロックにてたくさんライブをやらせてもらった。此処で高校時代の半分以上の青春を過ごしたと言っても過言ではない。此処で更にこの先の人生、バンドやって生きていきたいという気持ちが大きくなって行った。

そして高校まで埼玉の田舎で過ごしたが、東京へ行きたいと思うようになる。
東京の大学を選び、足りない学力の中自己推薦で受験する。(面接と小論文だけの受験である)
結果は奇跡的に合格。周りより早く受験を終え、春から東京行きが決まった。


大学生時代

最初に言うと、この時期は今の僕にとってかけがえのない時期になる。

多すぎて、濃過ぎてあげてもキリがない。
Ready at Dawnに加入したのは大学2年の頃。
この時点で濃い。この時期の事をもっと知りたい方は直接聞いてください。(投げやり)
Wikipediaてちょっと曖昧だったり未完成なとこが多いからさ、これくらいの方が良いんじゃないかなあなんて!

大学卒業後

東京23区に住んでいたものの、これから先のことを考えて区民から市民へ都落ちした。2019年はReadyのCDがタワレコ限定発売。つまり、インディーズデビューを果たしたのだ。みんなが「CD買ったよー」と報告してくれた。こんなにも嬉しいことなのかと…タワレコの試聴機から自分達の曲が流れた時の感動は忘れない。

そして2020年になり、初のワンマンライブ開催決定。絶対成功させる。


いかがでしたか。Wikipediaなので(偏見)此処に書いてあるのはまだ一部です。自伝を出版するとなったら全てを綴ろうかな。

毎年これ以降を更新できたら面白いね。

#自己紹介  

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