「才能」について考えてみたこと。
【誰かの才能を感じたのは、どんなとき?】
という問いをもらった。
才能。このワードを見た時にまず思い浮かんでしまったのが、
「あぁ、自分には大した才能はないよなぁ」
という思いだった。
才能、と聞くと私が思い浮かべるのは
・オリンピック選手やスポーツ選手など、運動能力がずば抜けている人
・音楽や絵など、アーティストとして活躍している人
・スティーブ・ジョブズなど、世に名を残す経営者
…といった、所謂『すごい人達』。
勿論、才能だけでその位置にいる人はほとんどいなくて、想像できない程の努力もしてきているのは間違いないと思う。
ただ、例えば私がそういった人達と同じ分だけ努力をしたとしても、そこに行けたか?と想像してみるとそうは思えない、というのが本音。
才能と、人並みならぬ努力のどちらもないと難しいんだろうな、と、そう思ってしまう。
でも、「じゃあ、それ以外の大勢の人達は、才能がないの?」と聞かれると、全然そんなことは思わない。
昔からの友人のSは、日常で自分の『スキ』をよく見つけていて、自分のゴキゲンを取るのが上手い。
私の夫は、基本的にどんな事でも動じず何とかなる、と、どーんと構えている。
この友人や夫のこういうところは、才能だよなぁ、って素直に思える。
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あれ。何だか私、「才能」というワードを、自分に向けた時と他者に向けた時とで、全然違った意味付けにしてないだろうか。
ここまで書いていて気付いたことがある。
私はやっぱり自分自身を低く見積っているのではないか。
「才能」というワードを自分に向けた時は、もの凄く飛び抜けた何か、をイメージしている。
一方で、身近な人で想像すると、飛び抜けた何かというよりは、その人がその人らしさを創り上げている素敵な部分、を才能だと思えている。
ということは、私にも「才能」ってあるはずだし、それをちゃんと認めて育ててあげたい。
そんな風に思った。
5月は、自分の才能を見つけてあげよう。