泉鏡花『外科室・海城発電 他五篇』

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 今回は、泉鏡花『外科室・海城発電 他五篇』についての読書メモ。どうだろう、誤解を恐れずに言うと、泉鏡花の知名度ってそんなに高くなくて、本が好きな人でもあまり読んだことがないような人も多くいるような印象がある。教科書の資料集の端の方に載ってたっけ?というような気もする。
 読者が限られる理由として、泉鏡花の文章がとても難しい、というのはある気がする(あくまで自身の主観によるものだが)。勿論だが今の話し言葉とは全然違うため、知らない言葉もたくさん出てくるし、漢字の使い方が独特で読めない、なんてこともあると思う。そう言った面で少し敬遠される、というか、現代でスポットを浴びていない(ように僕が感じている)のかもしれない。
 ただ、実際に読んだ人は分かっていただけると思うけれど、とても繊細で綺麗な表現で人の心の機微を映す作家だと、この一冊を読んで思った。まだ読んでいない人はぜひ読んでほしい。

 かの中島敦だって

 私がここで大威張りで言いたいのは、日本人に生れながら、あるいは日本語を解しながら、鏡花の作品を読まないのは、折角の日本人たる特権を抛棄しているようなものだ。ということである。

 って言ってるし。(中島敦『泉鏡花氏の文章』より)

 実はこの後、それぞれの短編に対する感想を連ねるつもりだったのだが、僕の稚拙な感想でこれから読もうとする人の輿を殺いでしまうのも本意ではないので、読んでいていいな、と思った場面描写をいくつか抜き出してみようと思う。

義血侠血

「ああ、好いお月夜だ。寝るには惜い。」
「人子一人ゐやしない。何だ、真箇に、暑い時は囂々騒いで、涼しくなる時分には寝てしまふのか。ふふ、人間といふものは意固地なもんだ。」

 滝の白糸と馭者だった欣弥が再開する場面。僕はこの感性にすごく惹かれた。最初に読んだのが「義血侠血」で良かった。

夜行巡査

 公使館の辺を行くその怪獣は八田義延といふ巡査なり。渠は明治二十七年十二月十日の午後零時を以て某町の交番を発し、一時間交代の巡回の途に就けるなりき。
 その歩行や、この巡査には一定の法則ありて存ずるが如く、晩からず、早からず、着々歩を進めて路を行くに、身体は屹として立ちて左右に寸毫も傾かず、決然自若たる態度には一種犯すべからざる威厳を備へつ。

 夜行巡査の登場人物である八田巡査についての紹介文。この文章を読んだだけで八田巡査がどのような性格をしているかが想像できる文章になっていて、この八田巡査の杓子定規の性格が後の展開を大きく左右することになる。

外科室

 唯見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔は旧の如く、いと蒼白くなりけるが、果せるかな自若として、足の指をも動かさざりき。

 ただ色の描写をするだけでなく、それらの色がとても鮮明に映っていることが分かる描写になっている。それだけ血が出ていて、顔も蒼白くなっているのに決然自若としている夫人の様子から、夫人の覚悟が分かる。

「ああ、真の美の人を動かすことあの通りさ、」

 高峰が夫人に一目惚れした瞬間の一言。

化銀杏

「いいえ、違ふのよ。私のは全く芳さんの姉さんとは反対で、あんまり親切にされるから、もう嫌で、嫌で、ならないんだわ。」

 お貞さんが夫の愚痴を言い始めるシーン。親切にされるとしんどい、自由がないというのも分かる気がする。この告白を皮切りに、お貞さんは夫に対する思いを告白していく。
 本当は、化銀杏の場面でもう一箇所、とてつもなく推したいところがあるのだが、ここに触れてしまうとネタバレになるような気がするのでやむなく割愛。実は僕が一番好きだと思った短編。

感想

 全体的に想定が極端。河村二郎氏の解説にも書かれてあったが、「義血侠血」が草稿のときはもっと過激でグロテスクだったように、泉鏡花は少し極端な設定を用いる癖のある作家さんである。しかし、泉鏡花が弟子入りしたのが尾崎紅葉で、尾崎紅葉の作風も取り入れつつ、今の塩梅になっているそうだ。
 確かに、「外科室」の発想にしてもそうだ。麻酔をしていない患者にメスを入れる、とだけ書けば、どうにも猟奇性を感じるが、それを妨げていたのが、泉鏡花の表現の仕方であったり、人間の心の機微を描く力であったりだと思った。「外科室」の発想に対して、前に触れた描写であったり、高峰と夫人のやり取りを込めていくことで、作品自体が綺麗なものに昇華されるような印象を受けた。それが「外科室」だけでなく、どの作品にも通じるものであった。

 全体的に読んでいてとても楽しかった。難しい言葉は多いが、それも含めてじっくり読む材料にもなったし、あれやこれやと想像したり考察したりしながら読むことができて楽しかった。だから、それほどハードルを上げず、携帯を辞書代わりにして読んでみてもいいと思う。今でいうところの「月9」みたいな感覚で、泉鏡花の恋愛の世界を楽しんでみてほしい。


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