近所で野良猫を保護する〜モミジモナムール5
【モミジがいなくなって8週間過ぎました】
日曜日の13時になると、あぁ、この時間がきたな、と思います。
私にとっての日曜日は、あれ以来新たな意味が加わって、
モミジがいた日々と、いなくなってしまってからの世界が、
ビフォーアフターの如く、見え方が変わってしまいました。
モミ、今君はそっちでどうしているかな。
ゆっくりとあったかくお昼寝したり、
もうお口も痛くないから、
好きなものを好きなだけ食べられているのだろうね。
立春の日のの恵方巻きは、
モミのためのササミとお野菜を一緒に蒸して、
ちょっとのご飯と一緒にお海苔でぐるっと巻いたよ。
好きだった猫用ミルクと、恵方巻きを祭壇にお供えして、
もみちゃんに話しかけていました。
もっとたくさん、
もみじにしてあげてたらと思うことはありますし、
本当は一緒に旅行も行きたかったけれど、
でも何より、コロナでロックダウンになってからは、
一緒にいる時間がぐっと増えて、
モミとぴったり寄り添っていられることに、
私は内心喜びの気持ちがふつふつ感じられていました。
生活スタイルも何もかも変えてしまった、
手強いコロナで、仕事は減ってしまいました。
でもこんなところで大事な家族と
もう一度向き合うきっかけと時間をくれたことは、
モミ、本当に大きな感謝だと思っているんだよ。
パリ近郊は、喜びに満ちた春先の陽気が気持ち良くて
2月に入ってからは感じられる爽やかな朝が続いているのですが、
少し前までは、私は季節が変わっていくことを拒むような
気持ちになってしまっていました。
季節が変わってしまうこと。
モミの感触を忘れたくなくて、
このままあの時間に留まっていたくて、
時折地団駄を踏んでしまうほどに
パニックになって苦しくなって、
モミ、モミ、と壊れたようにあなたを探してしまったり・・・
【人との別れ、動物との別れ】
人とのお別れと、動物のお別れというのは、
少し種類が違う気がしています。
どちらがより重い、軽いということではなくて、
人に飼われている動物は、人間がしっかりとお世話をしなければ、
その子は野生に帰って生きていくことはできないという意味では
責任重大です。
その上動物は人間の愛情や気持ちを汲み取って、
純粋な思いを、私たち以上に返してくれる、ということも
信頼関係、愛情の交わし合いも人同士とは全く違っていて、
人間はそのぶん、責任を負わなくてはならないですが
一緒に暮らしていると、こちらがお世話をしているようで、
実は無条件の愛情をもらっているのはこっちなのではないか、と
気がついて、言葉にならない気持ちが溢れてきます。
密着していたその分、いなくなってからの喪失感は
言葉に表せない深いものがあります。
モミ、
まだまだ、あなたが見えない、
そして触れられない、ということに
慣れない私です。
でも、あなたが残してくれたものを少しずつ消化して、
あなたのくれた偉大な愛情を、
大切にしていけたらと思っています。
一日づつ、ちょっとずつですが、
大切に生きていきたいです。
【5年前の10月14日に、パリ郊外でモミジを保護したお話2】
今日は、モミを保護した日のことをその続きとして書きたいと思います。
よければお付き合いください。
モミは、捕獲器などは使用せず、抱っこして保護しました。
保護が生まれて初めてだった私は、
右も左もわからなかったので
猫をずっと飼って来た友人に事前に色々聞いてみました。
「こんな猫が近所にいて、冬を越せるか心配している。
うちに連れて来たいと思っているけれど、
どうしたら良いかわからない」
と相談しました。
そうすると彼は、
弱っているの?
それなら迷っている暇はないんじゃない?
決断は早い方がいいよ、これから寒くなるばかりだから。
と言い、その後協力してくれました。
モミはお外時代、少しなら触らせてくれる子でしたが、
抱っこしようとすると、怖がるようにささっと走って逃げてしまうため、
私はそれ以上触れずにいたからです。
そのフランス人の友人は、僕が行ってあげるよ、
といって、一緒に保護してくれました。
前回少し書きましたが、
モミのために置きエサがしてあり、
気にしてくださっている方がいる
ということは把握していましたが、
その方と会ったこともないし、
ましてやそのアパートは完全セキュリティで、
事情を聞きに行くこともできず、どうしたらいいのか
わからない状態でした。
そして私はとにかくひと冬うちで越してもらい、
その間諸々のことを様子を見る決心をし、
10月14日の秋の日、
モミはうちへ来ました。
うちに来てしばらくは、
かなりお腹が空いていた様子で、
頻繁にお腹すいたとご飯を欲しがり、
それからしばらくは、お腹がパンパンに膨れている状態でした。
そして、モミの方から近づいてくることはほとんどなく、
私は触りたくて仕方がなかったのですが、あえて意識をしないフリを
心がけて、目の端っこの方で見守るような感じで
しばらくは暮らしていました。
当時モミは眠る時に、ゴロン(いわゆる、臥せて四肢を伸ばした状態)で
寝られていなかったためか、座った状態で船を漕ぐように
こっくりこっくりして
眠っているのを見ると胸が痛くなりました。
'ゆっくりお眠りよ・・・
もう安全だし、誰も君のことを攻撃するものは
いないんだよ・・・'
そんなふうに思いながら、床にモミ専用にしたひざ掛けなどを敷いて、
いつでもゴロンと寝られるようにしていました。
私は初めての猫だったため、
知らないことだらけでしたが、
とにかく来てもらったからには家を好きになってほしいと
モミが歩きやすいようにタピ(敷物)を敷いたり、
床のものを片付けたりしていましたが、
新しい家族が増えて胸がはちきれんばかりに喜びでいっぱいだったのです。
モミはとっても元気で、
トイレも一発で理解し、その後も粗相をしたことは一度もなく、
トイレをした後はトイレハイで家中を駆け回っていました。
そして週末が明けて、
うちから一番近所のキャビネット型の獣医(数人の獣医さんが
詰めているセンター的なクリニック)にモミを連れていき、
健康チェックなどをしていただきました。
その時健康には特に問題なく、
耳の内側にしてあったタトゥーの番号から、
幼猫時代に、ある地元の野良猫アソシエーションが
去勢手術 をしてくれていたことがわかりました。
帰宅後、そのアソシエーションをネットで調べたところ、
隣町にあるTNRを専門にしていた保護猫団体であることが
判明しました。(後に、そのアソシエーションには
ご挨拶に伺いました。
とても優しいおばあちゃまが、
モミのことをなんと覚えていてくださったのです。
現在は閉鎖してしまったようで、とても残念です。
訪問した際のエピソードがいくつかありますので、
そちらはまた、改めてご紹介したいと思います。)
そしてなんと、モミは大体5−6歳くらいかなと予想していましたが、
12歳になるシニア猫ということもその時分かったのです。
これには驚愕でした。
私は小さな頃に小型犬を飼っていて、この子は15歳くらいまで
生きたのですが、12歳というと野良猫にとっては信じがたいほどに
長生き(サバイバルも含めて、健康保持や体力的にも厳しいはず・・・)
な方ですし、モミはヨーロピアンミックスでほっそりしている方なのに、
体に目立った傷もなく、喧嘩したような後はその時はなく、
かといって完全に野生だったら、抱っこして捕獲など
できなかっただろうことを思うと・・・・
飼われていた可能性もあるのだろうと思いました。
モミが生きた歴史は、私と出会う前については
全くの白紙ですが、色々今でも想像しています。
モミには、誰かに深く愛されて生活してきた歴史があったのかも、
しれません・・・。
それでは、
モミを保護したお話は、今日はここまでにします。
またその続きを少しずつ書いていきますので、
よかったらお付き合いください。
個人的な話ではあるのですが、フランスでの
保護猫活動や、猫と人との距離など、
折々、少しずつお伝えできたらとも考えています。
後日談
49日が過ぎて、私はやっと、台所に立って、
以前よりも簡単ではありますが、野菜を切ったり
調理をしたりすることができるようになってきました。
今までは、生きるために食べよう、
食べよう、という気力が起こらなくて、
おざなりになってしまっていました。
こんな時こそ、食べて力をつけないとならないのに、
味覚がなくなってしまい、味がよくわからなくて
味の濃い、
ジャンキーなものばかり口にしてしまっていました。
もしも、落ち込むと食べられなくなる方が
近くにいらっしゃる方がこれを読んでいたら、
無理しないで欲しいです。
きっと、少しずつ、食べられるようになっていくと思います。
最初に作ったおかずは、ジャガイモのサラダでした。
アンチョビはなかったし、買い物もしばらくまともにしていないので、
ジャガイモ、玉ねぎ、少しのきゅうり、マヨネーズ、塩こしょう、粒マスタードだけの、簡単なレシピでしたが、久しぶりに、野菜の食感や味、
喉越しなどを感じて、しみじみとおいしいなと思ってしまいました。
これからは、少しずつ台所に立てるようになって言ったら良いなと
思っています。
それでは、また。
みなさんの一週間が、
暖かく穏やかなものでありますように、祈っています。