ラグジュアリーとは何か-ザハ ・ハディドと原発-
空所
イタリアの旧友が勤めているジュエリーブランドの展示会があり、大阪まで見に行ったことがあった。梅田の高級レストランを貸切にした会場で、ただただ鑑賞するだけだったが、とても美しかった。ラグジュアリーとは中身がなく、役に立たない空虚な存在だと見なされている。だが、役に立たない「空っぽ」という点にこそ、ラグジュアリーの本質が宿っているのではないだろうか。そうした意味で、宝飾品は宝飾品でしかないから、贅沢なのかな、と思った。直接的な生活の機能を持たず、それはそのもの自体として、純粋に味わわれるがために豊穣なのかもしれない。
内田繁の著書『茶室とインテリア』によると、かつて日本の家においては直接の機能・用途を持たない、仏間のような訳の分からないスペースがあり、それが子供の成長過程で、うまく作用していたという。こうした仏間や、美しい階段の吹き抜け、庭の一隅など、一見無目的に見える場所があることが、なにより、昔の家に品格を与えていたように思う。餌とご馳走の違いは、餌は命をつなぐ為に食べる行為を指すが、ご馳走は食事それ自体を味わっていることに拠る。そうした意味で、もう明日から生きる必要がない最後の晩餐は、晩餐それ自体を味わうが故に、味わい深いのかもしれない。そういえば、茶の湯を嗜む友人が、お茶席では腕時計を外すのが作法になっている、と話してくれたことがあった。お茶席という、その会自体=只今を味わうための作法のようだが、高級クラブやサロンにも、そうしたところが多いのではないだろうか。豊穣な場所に、時計は存在しない。
『ざくろの色』
『ざくろの色』というアルメニアの映画を、字幕なしで見る機会があった。言葉が分からず、映画の意味や筋を追うことができなかったのだが、だからこそ、目眩く官能的なイメージが多彩な音と絡み合って生々しく映し出される姿に、ぼくは見惚れてしまった。黄金の輝きや殺された鶏の赤い血、コントラストが効いた服飾の色合いや乳房の柔らかさ。このように、意味や筋には回収されない、ものの多様な質感や光や音の戯れのなかにこそ、映画の核心が宿るように思う。こうした映像のなかのテクスチャーは、小説や演劇などの他のジャンルには、絶対に翻訳できないからだ。
『ドイツ零年』
第二次大戦後の荒廃したベルリンを舞台にした、『ドイツ零年』という有名なネオリアリズモの映画がある。貧しい家庭の少年エドムントが、病気で働けない父を抱え、大人のふりをしてあくせく働くのだが、最後には父に毒薬を飲ませて殺し、深い絶望のなかで自殺してしまうという、身も蓋もない話だ。しかし、エドムントが深く絶望し、唐突に飛び降りて自殺するまでの最後の15分間、映画の前半では大人のように働いていた少年は、はじめて子供らしく、石蹴りをしたり、鉄砲ごっこをしたり、無目的に遊ぶ。造形作家の岡崎乾二郎は、この死までの15分間を死を覚悟し、ある意味、世俗的世界の外に出た、死んだ後の空白の時間であると指摘する。少年が無目的に遊ぶときにはじめて、光を反射する水たまりや石ころなど世界の細部が輝いて見え、瑞々しい映像がキラキラと立ち現れる。
「いわばクロノロジカルに流れる時間から、歴史から離脱した時間。『ドイツ零年』の「零年」が何を意味するのかは、この十五分間ではっきりわかる。」浅田彰+岡崎乾二郎『「現代」を考えるーこどもたちに語るモダン/ポストモダン』
ところで、ぼくたちが普段用いている10進法のような数の表現方法(位取り記数法)は、零記号が導入されてはじめて成立したと、柄谷行人は『隠喩としての建築』において述べている。零がないならば、たとえば205と25は区別できない。1、2、3・・・といった具体的な数とは異なり、零記号は数の不在をさまたげることのみを固有の機能とし、それ以外の意味を持たない「空所」だが、こうした「空所」としての零記号こそが、記数法のシステムを逆説的に成り立たせているという。
普段の暮らしにおいてぼくたちは生活によって縛られているが、そうした世俗の拘束から外れた、一見無目的に見える「空所」にこそ、かけがえのない思い出が宿り、一人ひとりの人生をずっと支えてくれるように思う。学校から解き放たれた夏休みに、いまは亡き祖父と田舎で野球をしたり、蝉を捕まえたり、がけ滑りに没頭した、子供の頃の思い出。何かの為にではなく、それ自体として純粋に味わわれるラグジュアリーな「空所」こそが、人生を人生たらしめてくれる、隠れた構造なのではないだろうか。
こうしたことを踏まえながら、ザハ・ハディドの建築について、考えていきたい。
ザハ・ハディド
イタリアに住んでいた頃、新年のヴァカンスに、ローマをひとりで訪れたことがあった。ローマ帝国時代の遺跡から、ルネッサンス、バロック、最近の現代建築まで、たくさんの建築を見てまわったが、いちばん胸に突き刺さったのは、意外にもザハ・ハディドの設計した『国立21世紀美術館(MAXXI)』だった。
『国立21世紀美術館(MAXXI)』
この美術館では、複数の流線的な空間がそれぞれに行き交い、意表を突いた動線の繋がり方をするが、空間のチューブを糸とすれば、美術館の建築は、相異なる糸によって織りなされた織物にも喩えることができる。彫塑的な白いカウンターやヌメッとした床、浮遊する黒階段、コンクリートの壁や流線形の天井パネルなど、それぞれの要素は、個別のフォルムと質感を持ち、それらが有機的に束ねられることで空間のチューブが作られ、これらの空間のチューブが束ねられることで、建築の全体が作られている。特筆すべきなのは、寄りの視点においては、それぞれの各部分が自身の個性を際立たせている一方で、引きの視点から美術館を眺めたときには、一つの確固とした建築のキャラクターが感じられることだ。ザハ・ハディドは、アラブのカリグラフィー(書道)に影響を受けていると語る。
「流動性つまり流線型とカリグラフィー、そして今、私がやっていることとの間には、間違いなくつながりがあります。」ザハ・ハディド+ハンス・ウルリッヒ・オブリスト『ザハ・ハディドは語る』
カリグラフィーにおいて、一筆ごとの部首は筆の運びから来る運動性と個々のフォルムを持つにも関わらず、それらの各断片が全体へと組織されたときに、一つの統合された意味=形式が立ち現れる。『国立21世紀美術館(MAXXI)』で感じられる、「引き」と「寄り」の見えがかりの落差は、このことに由来している。2002年のヴェネツィア・ビエンナーレ第8回建築展において、磯崎新と岡崎乾二郎は『漢字と建築』というテーマで、漢字の書から建築を考えるというアイデアを発表していたが、それから7年後に同じイタリアで、ザハは似たようなテーマに取り組んだ、とも言えるかもしれない。
この建築は、美術館として必要とされる用途・機能を備えると同時に、そうした実用性からは説明のつかない、一見無目的に見える、かたちの遊びをしている。だが、効率を考えれば無駄でしかない、曲面が流動していく心地良さは、訪れる人の気持ちを躍動させ、吹抜けの高天井からシャラシャラと降り注ぐ光の景色は、一生の記憶に刻まれる。直接の機能から外れた、そのもの自体として純粋に味わわれる建築のこうした魅力は、宝飾品のように贅沢であり、ローマにこの美術館ができたことで、古都にまたひとつ、品格が加えられたのではないだろうか。
ただ、ザハ・ハディドが強権的な国家の独裁者に気に入られ、彼らの権力を誇示するモニュメントの建設に加担していた事実にも触れておきたい。例えば、世襲制の独裁国家であるアゼルバイジャンでは、前大統領である父親の名前を冠した『ヘイダル・アリエフ文化センター』が、現大統領である息子の肝入りによって建設され、ザハの代表作の一つとなった。社会的な責任の観点から、強権的な権力に加担することは倫理的に問題となりうる。一方で、200年も経てば、江戸時代と現代との違いのように、政治や経済、文化といった社会の仕組みはすっかり変わってしまう。発注者がたとえ独裁者であったとしても、あるいはお金の由来がキナ臭かったとしても、ヴェルサイユ宮殿やアルハンブラ宮殿、桂離宮のように、残された贅沢な建築は公共の財産となって、いずれは世界中の人たちに共有され、潤いをもたらしてくれるのではないだろうか。贅を尽くした建築を公共の財産として、皆で共有するモデルはサステナブルに思われる。贅沢と美は隣接しており、美しい物こそ皆が大切に思い、次の世代に残そうとするからだ。
『ヘイダル・アリエフ文化センター』
美浜
福井県の三方五湖へ家族でドライブに立ち寄ったとき、のどかな湖の風景に惚れ惚れとしたものだが、人もまばらなこの地域に立派な博物館がふたつ、隣接して建っている姿が印象的だった。
ともに、有名な建築家によって設計されたもので、博物館の贅沢な空間がとても興味深かったが、帰りの車中で見た、福井から関西の方向へと流れる大量の送電線が、妙に生々しかった。三方五湖は美浜電発と近接しており、原発に対する見舞金によって、これらの建築がつくられていたとするならば、社会的な責任の観点から、問題はないのだろうか。お金の由来がキナ臭かったとしても、贅を尽くした建築は公共の財産としてサステナブルに受け継がれていく、と先にぼくは書いた。しかし、サステナブルでない原子力発電所に対する慰みとして博物館がつくられたとするならば、そこには解せない、もどかしさが残る。