『MIZZ先生がイラストたっぷりで教える〈便秘〉からの脱出』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が 渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします
Episode7 あのスーパースターも『ブラックホーク』の常連だったんです
『ブラックホーク』の店内は,実際にはイラストのように明るくはなく,50人で超満席となってしまう空間の照明は,畳一畳ほどの窓から差し込む光だけに頼るという心細さでした。そのうえ,来店されるお客さんほぼ全員がスモーカーという時代,お客さんの表情を包み隠すように目線の先を始終どろーんと漂っている紫煙が薄暗さを増幅していました。
さて,『ブラックホーク』が,“ジャズ喫茶”から“ロック喫茶”へと大きく舵を切った1966年~67年頃から1970年代にかけて,あの山下達郎さんも常連だった,と言うと驚かれる方が多いと思います。
自身のレコードをドッサリ抱えて来店しては,「コレ適当にかけてください」とお店に預けていくといった仰天の行動を繰り返すうち,ご常連の仲間入りをしてしまったわけです。
TOKYO FMの「山下達郎のサンデーソングブック」の番組内でしばしば『ブラックホーク』の話題が取り上げられている,という話を知人からよく聞かされました。
松本隆さんなども,対談や著作に『ブラックホーク』の名前がよく登場してきますし,他にも近藤房之助さんや昨年亡くなった鮎川誠さんのようなビッグネームも常連だったのです。
なかでも印象深いのは,「はっぴいえんど」と並んで日本語ロックの先駆者と言われる伝説的バンド「はちみつぱい」(蜂蜜ぱい,初期の頃はハチミツパイと表記されたことも)のメンバーです。
バンドの中心人物鈴木慶一さん(ボーカル・ギター・ピアノ)(1975年に「ムーンライダース」を結成,1981年に高橋幸宏さんとのコンビで「THE BEATNIKS』を結成),本多信介さん(ギター),和田博巳さん(ベース)らは,ほぼ毎日のように顔を出していましたし,和田さんに至っては,高円寺に(自身絶対にやりたいと言っていた)『ブラックホーク』風ロック喫茶を開店させてしまう熱の入りようでありました。
彼らはお店に居ても“オーラ”を消しつつ,いつもいつも決まったようにレコード室に一番近い“指定席”に座って,仲間に目配せしながら一,二時間を過ごします。
腹が減ると「ちょっと出てきます」とぼそっとひと声かけて,いったん店外へ。多分『喜楽』のタンメンかもやしそば,『大芽園』の焼きそば&餃子か,カレーの残り香がする時は『ムルギー』といった処だったのでしょう。
食事が終わって店に戻ると,「どうも」と言いながら,何事もなかったかのようにそのまま元の席へ着席。
まあ,なんとも“おおらか”で“のんびり”した時代だったんですねえ。