『MIZZ先生がイラストたっぷりで教える〈便秘〉からの脱出』の著者 MIZZ先生こと”みずかみよしのり”が 渋谷道玄坂百軒店伝説のロック喫茶『ブラックホーク』を語り尽くします
Episode1 1960年代後半の「JAZZの街」渋谷道玄坂百軒店
日本中に”洋楽”というものが急激に浸透拡大していったのは,今を遡ること70年ほど前の1950年から60年代にかけてのことでした。
洋画の隆盛に伴って映画音楽も大流行,マンボの王様ペレス・プラード来日となれば,中味はよくわからずとも,小学生から新橋界隈の赤ら顔のオジサンたちまでが「ウーッ マンボ!」と合いの手を入れるといった有り様でした。
テレビでは,『シャボン玉ホリデー』『ザ・ヒットパレード』といった”洋楽”をふんだんに取り入れた番組も始まり,なんとなく「洋モノはカッコイイ」ということになっていったようです。
1960年代のこと,渋谷の道玄坂を上って,右手の「しぶや百軒店」と書かれたアーチ型看板の門を潜り,もう一息坂道をぐっと登った狭い丘の上(地元古老によると,その昔”ヤマ”と呼ばれていた)のわずか100メートル四方にも満たないに場所に,7軒ものジャズ喫茶が密集するジャズの街が広がっていいました。
①『オスカー』(大音量でライブ感たっぷり)
②『ありんこ』(10人ほどの定員だがアットホームな雰囲気)
③『DIG』(後の1966年に我が国初のロック喫茶『ブラックホーク』となる)
④『SAV』(③の2階にありました)
⑤『スウィング』(ハンチングとパイプをくゆらせた渋いマスターが人気)
⑥『ブルーノート』(1966年ごろには撤退していた?)
⑦『デュエット』(少し離れた旧恋文横丁方面にあったしっとりした雰囲気の店)
●百軒店は,ジャズ喫茶ばかりでなく,今ではとても想像がつきませんが,『テアトル渋谷』『テアトルハイツ』『テアトルSS』といった映画館が林立する映画街でもあり,そのうえジャンル豊富な飲食店が100軒以上立ち並んでいたことから,文字通りの名が付いたという話であります。
●地元古老が語るところの,てっぺんをチョイと削ったこんもりした”山(ヤマ)”という100メートル四方にも満たない場。南北3本,北と南にそれぞれ1本のメイン道路で囲まれたその街中は複雑極まりない迷路のようでした。さながら,現在の新宿ゴールデン街や思い出横丁といった趣でしょうか。
●今では,百軒店からジャズ喫茶は消失してしまいましたが,彼の地で90年に渡り自慢の巨大スピーカーで堂々とクラシックをかけ続けている名曲喫茶『ライオン』は健在です。
●ラーメン通には絶大の人気を誇る1952年創業の『喜楽』。現在は,二代目の林さんが先代の味を守り続けていますが,この方も『ブラックホーク』の常連でありました。
大きめの餃子,野菜たっぷりタンメン,もやしそばが一番と言う常連さんも大勢います。
●『喜楽』とくれば,その対面『道頓堀劇場』(1970年オープン)を忘れてはいけません。何度かの閉開店やオーナー替わりをしたものの,今もって健在,まさに百軒店入口の顔であります。ちなみに,ここの出世頭は『コント赤信号』ということになるわけですが,彼らもロック喫茶『ブラックホーク』の常連でした。
最初の頃は「ヌード寄席」といった看板でストリップショーやコント漫才といったプログラムだったようで,コントや漫才の方々をはじめ,時には踊り子さんたちも『ブラックホーク』でコーヒーを飲みながら休憩されることもあったようです。
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