アートメモ マチエール論

・分節(線)、性質(色)、そして、マチエール

・これが、絵画を構成する要素である(その後にもあるが、一旦はここで思考する)

・この点はバウハウスのパウル・クレーと見解が一致している点である

・では、マチエール(材料による質感)とは何か

・結構見いだせてきた。つまり、マチエールなんて言葉を使わずとも、バックステップした、分節と性質で、説明しきれる"かも"しれない

・ひとつに、要はメタ分節としての表面の凹凸である。遠近法ならぬ、僅かな凹凸であれ、遠近自体ということになる(ゴッホの絵などちょうどわかりやすい塩梅におもう)=分節のメタ化

・他方、マットな質感とか光を反射するマチエールなどは、性質(色)のメタ化である。色を、光(影)に還元してしまった、といえる。明暗法ならぬ、明暗自体ということになる

・整理すると、絵画は、分節と性質、である

・何を言っているかというと遠近法としての分節と遠近自体としてのメタ(というかベタ)分節(凹凸)、明暗法としての性質と明暗自体としてのメタ(というかベタ)性質(色の光影化)

・もう少し噛み砕く

・マチエールとしてのザラザラ感やデコボコ感は、画面に対して垂直な遠近法ならぬ遠近自体ということである。これは、線、で表されるゆえにメタ分節と呼んだ(実際は線というよりやはり分節)

・マチエールとしてのテカテカ感やマット感は、画面に対して水平な明暗法ならぬ明暗自体ということである。これは、色、で表されるゆえに、メタ性質と呼んだ(実際は色というやりやはり性質)

・こうなると、マチエール、というものを不在にして、分節と性質のみで、語りうるようにスリム化できたことになる

・わたしの絵画だと、マチエールとしての分節は、インクの切れたボールペンや芯の切れかかった色鉛筆で紙に描くときに浮き出てくる、紙の凸凹になる(かなり微細だ)

・また、マチエールとしての性質になると、フィキサチーフで表面に被さる透明の膜になる(かなり繊細だ)

・速乾性素材のみというやり方で、その技法が確立してきている(色鉛筆などのアート部材化)

・あれ、ここで気がついたのだが、マチエールは材料による質感、なのだが、道具による質感は、たしか、テクスチャ、と呼ぶのだった

・つまり、こういう事が言える

・わたしが、ここで挙げた色鉛筆やフィキサチーフによるマチエールには、機能、が必ずある(それは、道具としての機能であり、マチエール塗布という理由がなくても、必ず必要な道具なのである)/結果的マチエールということである

・市販のジェッソや所謂マチエール商品というのは、正しいのだろうか

・つまり、市販のマチエールを使うことは、そこに、機能、がない。マチエールがマチエールをする、という効果だけがある(ゴッホのマチエールは、道具機能的な結果的マチエールだったろう)

・ここで人工的マチエールと自然的マチエールという概念が提出されたことになる

・道具や材料の、その、機能、に応じて結果的に表面が凸凹したり、テカテカしたりすることは、事後的で正真的な自然的マチエールである

・反対に、そもそも道具や材料としてのマチエール(商品)を、つけることは、機能、に応じるわけではない。事前的で演劇的な人工的マチエールである

・まあ、リバースエンジニアリングされて、それそのものが量産されて、簡単に手に入るようになった、ということができる

・善いか悪いか、ではなく、端的に、気がついた、ということである(パウル・クレーもインク染みを布に染み込ませ、上からわざわざ塗布したというし)

・あまり、自然的なマチエールにこだわると、添加物なしラーメン、完全有機栽培食品、みたいな天然性になってしまう

・塩梅が大切である

・だが、今のところ、色鉛筆や速乾性素材には、マチエール(商品)がないのである。売ってない

・まあ、そこから、自分で、そういうのを、開発してもいいな、とも思うのである

・ただ、今は、機能性、に拘ってみたいし、まあ、おそらく、自然的マチエールで突っ切るだろう

・残余=テクスチャとは


・おそらくであるが、テクスチャとマチエールという語は曖昧なままゴチャゴチャになってしまっている


・地にあるそのことが、テクスチャ


・図にあるそのことが、マチエール


・だったはずである(そのこと、とは、分節と性質位相転換)


・地=キャンバスや紙の凸凹やテカテカなど


・図=絵筆やペンの凸凹やテカテカなど


・自分のなかでは用語を整理して統一したい


・つまり、マチエールは(テクスチャも)、ない(存在しない)


・わたしは、マチエールもテクスチャも、ない論者に、今、なったわけである(ある意味、現代アート作品制作に真っ向から反対していることになる)


・あるのは、機能、である(キャンバスや紙のザラザラや凹凸はそもそも絵具がのりやすいための機能であるし、絵の具の凹凸は逆説的に重ね塗りを可能にしている空間からのアフォーダンスである)


・本来、なんらかの、機能、によらなければ、マチエールもテクスチャも発生してこなかったはずなのである


・機能のないマチエールやテクスチャは、装飾的である(注釈しておくと、まあ、このへんは、いうまでもなく、一般論ではないです/こんなこと突き詰めると、アール・ヌーボーやミュシャから装飾を剥げ!と叫ぶことになります/なぜ、こんな極論を言ってるかというと、やはりバウハウス継承していきたいのとゴッホ好きだから、だろうな、とおもいます)


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