仄のめかす黙した木々のこと。あなたとわたしと、他の聖なる動物たちとの答えについて 7/22
■生―死
・人間は生死をあまりにゼロイチで考えすぎている
・死する部分もあるが、死なない部分(不滅)もある、と考えるということ。人間個体は永遠に生きるのでもないし、完全に死に切るわけでもない(脱グローバル宗教的)
・ラディカントな直感である。植物の幹や茎からこそ根が生えて、その不定根を中心に植物個体自体が、再編され、ということの繰り返しについてである(ベゴニアやベンケイソウなど。不定根ということ)
■ボッティチェッリ
・ルネサンス3巨匠よりも、ボッティチェッリであり、西洋絵画よりもイコンである
・すでに、ダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロはひとつの弁証法的頂点であり、その根からは超えることの不可能な古典的天才ではあるが、他方、ボッティチェッリこそ超越的天才である
・「ヴィーナスの誕生」における、中心に描かれた、裸体の天上のヴィーナスの複雑なプロポーションは、脇にいる服装を持つ地上のヴィーナスの単純なそれよりも、すでにして、セザンヌのリンゴ的であり、キュビスム的であり、フランシス・ベーコン的である
・地上のヴィーナスはルネサンス人も描くことができただろうが、天上のヴィーナスは、同時代にはボッティチェッリのみであり、東方教会のイコン画家たちが可能にしていた超越的絵画性の絵画である
・ボッティチェッリの絵画を見れば、すでに時間軸上でその後の絵画的な展開が予見されているのである。従ってボッティチェッリは、ルネサンス人に属さない。脱時間的である。時間性の領域で描かれている
・空気遠近法よりもイコン的逆遠近法のほうが、より脱空間的である
あわせて、陰影法ならぬ陽光法を発見(影をつける位置について、記憶と手癖だけでバラバラに影をつけ、光源を多方向に創出する方法)