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【IDEA】「結局、私たちがやっていた学校数学って何だったの?」という人へ

今回は勉強に関する記事です。勉強と言っても、数学に関する内容になります。私はこれまで、noteの記事を68本投稿していますが、本業である「数学」に関する記事がありませんでした。日頃、教壇で生徒に向かって授業している手前、わざわざnoteにする必要もないのかなと思っていたのかもしれません。あるいは、数学と言っても、最早仕事の一部になっているので、学生の頃のような、純粋な気持ちで数学を語るのが難しいというのも正直あります。

ここでは、「学校数学の問題点」と「数学の未来」をまとめてみました。

【受験数学の問題点】

改めて軽く自己紹介しますが、私は高校で教師をしています。現在、15年目です。これまで、旧帝大を目指すバリバリの進学校もあれば、大学とは無縁の実業校など、様々でしたが、どちらでも数学へのやりがいと苦労があります。

まず、進学校…すなわち、受験数学を扱う場合、生徒が求めるのは主に「ベストな解き方」「時短となる裏ワザ」のような、俗に言う受験テクになります。具体的な解法テクニックは、専門的になり過ぎるので掲載しませんが、恰も「解法パターンを叩き込んでしまえば、ある程度点数は取れる」という大学受験に向けた打算的な講義になっていきます。
一見、授業をする側も受ける側も一つの問題に対して、解決策を見出すので、その時間は有意義に感じますが、あくまでもお受験用であることを忘れてはいけません。

「寄生獣」岩明均 著
地球外生命体であるミギー君はすぐ核心を付きました。

【受験に関係ない数学はもっと問題あり!】

かと言って、日本全国どの高校も受験数学を必要としているわけではありません。残念ながら、数学を必要としていない学生に向けて、授業をする方が多いです。

生徒が勉強の必要性に迫られていない場合、真面目な教師はあの手この手で教材づくりに何時間もかけます。如何に数学が面白いか、如何にして日常に利用されているかなど、日夜苦心しますが、個人的にはこれもこれで問題があると思います。まず、「教材研究に時間を割くことが仕事」と勘違いしてしまう危険があります。また、「数学が恰も何かのためであるという手段に過ぎない」という考えに陥ってしまいがちな点です(これは教師にも多い!)。

しかも、たとえ、そこで興味深い教材で生徒を引き込んだとしても、学校数学の場合、結局は己の計算力が試されるのです。

「数字であそぼ。」絹田村子 著
学校数学において、一つのつまづきは命取りになります。

【数学の今後】

「問題点ばかりで、じゃぁどうすればいいんだ?」となりそうですが、私の考えとして、今後の数学は…

「解く立場」から「問う立場」へ

を意識しています。
当たり前ですが、学校数学は練習問題ありきで進めがちです。解くことに意味を持たせるかどうかは別として、解くことが目標になりがちです。ですが、昨今の科学の進歩を鑑みれば、問題解決に時間を割く必要が無くなってきているのも、また事実です。

あくまでも、私の予測ですが、数学の超難問とされるものは、AIがすべて解決する時代が来ると思います。もしかすると、私が知らないだけで、ある程度解かれているのかもしれません。いずれにせよ、解く役割は、我々人類に取って代わると思います。

「問う」というのは「問題提起」と置き換えても良いです。
要するに、自分で問題を作ることをメインに数学を考えてほしいです。
計算問題や文章問題、図形やグラフ…何でも構いません。苦手な人は、始めは日常にある物事を数字するだけでも良いと思います。

自分が見つけ出した数字に触れていくことで、人類の基準は粗方数字に支配されていることに気付くはずです。そして、それらを拡大解釈する際、必ずと言ってよいほど、文字式を立てることで、一般化を目指せることにも気付くはずです。

自ら起こした「問い」に対して、人は自発的な解決に向かうはずです。大袈裟な言い方をすれば、「仮説→検証」という流れを自分で作ることで、旧来のドリル的な計算努力主義ではなく、今後の時代の先を行く、新しい課題を見つけられる人物が登場すると、私は考えています。

【おわりに】

今回は以上になります。数学そのものに関する記事では無いので、拍子抜けしたかもしれませんが、また別の機会に投稿したいと思います。これからも、勉強の参考になる記事を考えていくので、よろしくお願いします。

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