その壁に、風穴をこじ開ける。
田舎の文明の進度が遅いのは、都心や大都市との物理的な距離が大きな原因だと思っていた。
それは全く違うことを、最近特に痛感している。
新型コロナウイルスも相まって、
人と人は距離をとっているにも関わらず、情報の流通は劣るばかりか、
リモートワーク等のオンライン回線が整備され、よりスピーディーになった。
それならもっと、
我々が住む田舎の文明も振興していいはずだ。
国単位でもこれだけ繋がることができているのだから。
しかし、やはり何か物足りない。
これは、決して、田舎の伝統を壊して、全てを新調しようという事ではない。残すべき伝統は残すべきだ。
しかし、「伝統」という言葉を盾に、
何らかの支障をきたすほどの明らかな非効率ですら、見てみぬふりをして、
新しい情報に、イチャモンもつける。
僕たち田舎者は、進化のタイミングを我々自身で見逃しては、悪い評判を上乗せして、世に放つのだ。
自分達が、新しいものを取り入れようとして、逆に取り込まれてしまわないかと、恐れているだけなのに。それを評価する「目」や「知見」を持っていないだけなのに。
「この街のフットボールを進化させ、日本を牽引する」
「この街をフットボールを用いて、人もモノも情報も、様々なものが循環し、日常を彩る」
それらを志す我々の最初の「壁」は、
宮崎県の「伝統」という言葉を盾にして「進化を怠る」悪しき伝統・風習だ。
そこの原点はどこにあるのかの明確な答えを持っているわけではない。
ただ、僕の推測として、
代々長年、田舎の富裕層いわゆる「お金持ち」と言うものは、
往々にして「土地」を持っていると言うことだ。
財産という「土地」=テリトリーを区画し、区別する。
そんな地主が、人を動かし、文化を作ってきたはずだ。
テリトリーを侵されまいと、
侵入してくるモノ(者)や新参者には、
敏感になり、不安を抱く。
というのが原点なのではないかと考える。
あくまで推測だ。
そして、土地を持つ大地主の方々を非難するつもりない。
「土地」というものに財産と言えるほど莫大な価値がある以上、
それを守る行為は当然のことだ。
だが、たとえその推測が当たっていたとしても、外れていたとしても、
「土地」とは全く別な分野にその風習を持ち込むことは、
「我々の文明開花を妨げる」といっても過言ではないところまで来ている
ということを、全員で認識しなければならない。
今、世の中に求められている価値や財産は、
テリトリーを守ることでは生まれないということを、もう気づかなければならない。
文明が進化し続ける世の中や世界は、
「土地」を持つものだけが動かしているのではない。
人と繋がること
情報・商品に新しい価値を添えて発信すること
価値のあるものの流通に、よりスピーディーさを求めること
「土地」を持たない多くの人がこれらを通じて、
「土地」を守ることと同等もしくはそれよりも遥かに大きな富を生み出している事実を受け入れなければならない。
加えて、文明が発展していったのは、
間違いなく、各分野における競合他社との競争(共争)だ。
消費者をアトラクトするために、自社特有の商材へと変化させる「企業努力」
の繰り返しのはずで、
現代こそ、目では追えないスピードでそれが繰り返されているから、便利で創造的な社会になっている。
その中でも、圧倒的に消費者を振り向かせたものが、他を牽引する存在となっているんではなかろうか。
でも、田舎の風習は、「伝統」や「古参」の言葉を盾に、
新しい存在を嫌い、
新しい要素を取り入れ変化することを恐れるが故に、
次なる行動は、既存の消費者を半強制的に囲い、
流出を力ずくで妨げるのだろう?「企業努力」をせずに。
その強制力を行使できることに、快感を覚えているだけなのに。
そしてこう言うのだ。
「うちはそういうのを受け入れない。」
「余計なお世話だ」
そうやって、
独自を生み出す「企業努力」をせず、テリトリーを守ることばかりに注力しては、
消費者は行き場を失うどころか、情報を精査する能力を欠き、彼らが自らをアップデートするチャンスを逃してしまうのだ。
日本は、世界は、
人もモノも情報も、「さらなる進化」を求めて目まぐるしく流動し、競争して、摩擦しあっているにも関わらず、
悪しき風習を未だに変えられない我々は一体、なにをしているのだろう。
「新しさ」を知らなければ、「新しさ」の良さも悪さもわからない。
「新しさ」を知らなければ、「古さ」の良さも悪さもわからない。
「新しさ」へのアレルギーを無くさなければ、更なる進化の可能性は生まれない。
新しさに負けない「正当な努力」がなければ、文明は開かれない。
Genuine Football Academyは、フットボールの枠を超えて、
関わってくださる全ての方と共に、
圧倒的な情報量で発信していく。
強烈な専門性で、突き抜ける。
24時間毎に、アップデートしていく。
少なくとも我々が提供する「フットボール」というものは、
今、世の中が求めている「社会」の縮図だから。
自分という殻を破り、テリトリーを超えて、コミュニケーションを図らなければ、フットボール自身が上手にプレーすることを許してくれないのだから。
もし、それでも、
我々に魅力を感じないのなら、それは我々の力不足だ。
悔しさを真摯に受け止め、原因を突き詰めて、また魅力を感じてもらえるような
「企業努力」を全力でするまでだ。
囲ったり、引き止めたりする権利は我々にはないし、
その人が下した我々に対する評価だ。
どうか、これからその壁を「共闘」「共争」してくださる方々が願って。そんな「マンパワー」が我々を通じて、循環してくれることを信じて。
それでも、藻が生えた壁で囲い、錆びた鎖で入り口を閉じたつもりでいようものなら、
我々の強烈な進化を見せつけるという形で
鎖をぶった斬り、その壁に風穴を開けて差し上げよう。
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