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夢のような人生、いや、それは人生のような夢だったのか。映画『ホテル・ニューハンプシャー』がもたらす生きていく力について。

『ホテル・ニュー・ハンプシャー』ジョン・アーヴィング

最初は本でなく映画だった。
もうかなり昔の話になるが、1980年代の頃は、深夜に文芸的な名画やちょっとマニアックでカルト的な映画を字幕ノーカットで放映するテレビ番組がいくつかあって、いやもうその手の番組はほぼ欠かさず観ていて当時はメチャクチャお世話になったものだが、この映画も確かそういう流れで観たんだと思う。

いつものように何気なくつらつらと観始めたのだが、開始早々引き込まれてそのまま一気にラストまで観てしまった。

ふと気が付くとラストシーンで号泣していた。なんという凄まじい映画だろうか。上手い例えが見つからないが、なんだかもう『人生まるごと』みたいな映画である。

教職を捨て、ホテル経営に乗り出す夢想家の父親ウィンスロー、同性愛者の長男フランク、蓮っ葉な長女フラニー、そのフラニーに恋する次男のジョン、小人症のリリー、耳が聞こえない末っ子のエッグという、かなりハンディキャップ強めの家族に、熊の着ぐるみを着て心を閉ざすスージー、ポルノ作家のエルンスト、売春婦、左翼テロリスト集団などが絡みあいつつ物語は進んでいくのだが、とにかくもう次から次へと痛ましい事件が雨アラレのごとく降り注ぐこと降り注ぐこと。全くもってとんでもない波乱万丈ぶりである。しかしこのような悲惨な出来事を、映画は割と淡々と、時にはユーモラスに、時にはちょっとコミカルに描いていく。このちょっと『コミカルに』っていうのがまた良くて、これによって、『あ、こんなに酷い状況だけどまだいけるかもしれない』と希望と再生への道が開かれるような気がするのである。この感じは小説を読んだ時にも感じたことだが、このあたりがジョンアーヴィングらしさ、ということかもしれない。

本のほうは当時、映画を何回か観たあとで読んだので、どうしてもストーリーを確認しながら読む感じになってしまったのだが、それでも十分面白かった。物語のディティールがさらに細かく描かれ、ちょっと長いが充実の読み応えである。

今回、久々に映画を観返し、本を読み直して思ったのだが、これはある一家の物語というのと同時に、第二次世界大戦後、人類が直面した様々な問題に次々と立ち向かっていく物語のようにも思えた。レイプ、同性愛、自殺、飛行機事故、テロリズム。そう、これは数々の苦難に直面しつつ乗り越えていった人類の青春の物語ではないかと。

運命は時に過酷であり、痛ましくも無慈悲で残酷である。人生なんてつらいことのほうが多いに決まっている。しかしそれでも人生は続く。我々は生き延びていかねばならない。そう、『悲しみは常に漂い続ける』が、『開いた窓の前では立ち止まってはいけない』のである。そこからうっかり飛び降りてしまわぬように。

我々は今まで良く生き延びてきたではないか。

毎回、映画を観るたびにラストシーンのリリーのセリフと、その後に現れる家族のはじけんばかりの笑顔で泣いてしまう。

生と死のダンス。

夢のような人生、いや、それは人生のような夢だったのか。

なにかのっぴきならないことが起こった時、なにかにひどく傷つけられた時は、この『ホテルニュー・ハンプシャー』という物語をぜひ体験してほしい。本でも映画でも良い。たぶん何か『力』のようなものが得られるのではないかと思う。それはほんのわずかな力かもしれないが、損はしないはずだ。

ちなみに映画では、ジョディ・フォスターも良いが、ナスターシャ・キンスキーの異常な可愛さ、美しさにも要注目。当時はうっかり恋しそうになってしまったものである。

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