家事手伝うと言われるのが嫌?私たちだって手伝いたい
ここ最近、巷でよく議論されている事のひとつに、「家事育児は手伝うものじゃない」というのがあると思う。
この前、テレビで同棲中の彼氏がいるという女の子が、「家事手伝うよと言われるのが嫌。そもそも私だけのの仕事じゃない」と言っていた。同棲でもその問題あるんだぁ~、ジェンダ~と思ったりもした。
しかし私はこれは言葉狩りなんじゃないかなぁ?と常々思っていて、夫が「手伝うよ」と言うだけでキレ散らかすのは違うんじゃないかな?と感じている。
流れとして普通にその会話は成立すると思うし、手伝うというのは手伝わないよりいいわけだし、これのせいでむしろ手伝えないという悪循環が生まれると思うからだ。家事してる妻を見て、夫が「手伝うよ」って言って悪いことなんもないよね?
だからみんなが本当に不満に思っているのはおそらくそこじゃない。ただ、そうとしか言い表せないモヤモヤがある。それは何だろう・・と結構長い間、考えていた。
で急にわかった。手伝うと言われるのが嫌なんじゃない。ただ、私たちも手伝いたいのだ、と。
私の夫は大変家庭的(仕事してるのか?と心配になるくらい)な人で、育休も1年取ったし、子供とのお留守番も得意だし、何の問題もない。私が朝食を作ると、「わーいありがとう」と言ってくれるし、洗濯してもトイレ掃除しても、「ありがとう」とほぼ100%言ってくれる。尊敬するレベルだ。
しかし、しかしだ。夫が家事してて「手伝うよ」と言った記憶がない。朝起きたら夫が洗濯してて「干すの手伝うよ」とか、朝食作ってて「手伝うよ」ということがほとんどない。
私たちも手伝いたいんじゃないか?
そもそも子供時代から、私たちは「手伝う」ポジションにいたがっていた。学級委員長はやりたくないけど、副委員長ならいい。部長は嫌だけど副部長ならやる。部長になった子を励ますように言った事はないだろうか、「大丈夫!私たち手伝うから!」
委員長と副委員長の違いはなんだろうか?それは責任、今風に言えば「ロードマップを作成するかどうか」なのではないだろうか。
SNSでよく見る、「稼げるロードマップ公開中」の文字。みんなロードマップは楽して手に入れたい。進むのは自分であることは変わりないけど、進むべき地図があるとないとでは、全然違うのだ。
家庭における「手伝う手伝わない問題」もほぼこれな気がする。当事者意識、というよりかは「やることを決める・そして生活を回す」という労力が、手伝う方にはかからない。
「夕飯何がいい?」と言われて「なんでもいいよ」と言われると嫌だ、という人は多いけど、思いつきで「カレー」とか「肉!」とか言われても正直困る日があるのも事実。だって冷蔵庫には、今日使いたいキャベツがいたりするのだ。
明日は雨らしいから今日洗濯をする。そろそろ夏だから生ごみはこまめに捨てる。カビ予防をする。冷蔵庫の食材を把握して買い物に行き数日分の献立を考える。生活を回すためのロードマップ(かっこよく言いました)を日々考えているわけだ。それにかかるリソース(かっこよく言いました)が、結構大変なのだ。
これを本当は共有したい。私が考えたロードマップを手に、手伝ってくれるのはもちろんいいんだけど、私にもそのロードマップ、ください。それがつまり冒頭で提示した「家事手伝うって言われると嫌問題」になっているのではないだろうか。
手伝う側に回りたい。これが本音なんじゃないかなぁ。じゃぁどうすればいいのかっていうとそれは個々の家庭でのやり方だろうから、やはりロードマップを作成するのは難しい気がする。このロードマップ300円で売ったら、結構売れそうな気さえする。誰か作ってください。買います。
本日の誇張
(仕事してるのか?と心配になるくらい)は大袈裟です。仕事はしているようです。
あと、少しくらいは私も「手伝うよ」って言った事あるかも。ちょっと面白くしようとして誇張しました。謝罪します。
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