カドビーの思い出

乙武洋匡さんの投稿を拝読し、若かりし頃を思い出した。

ボクは典型的な自由はあるけど金はない学生だった。

で、同じような仲間で集まって、それでも一杯引っ掛けたいね、という時の飲み方がカドビーだ。

ちなみに、居酒屋に入ってメニューも見ずに頼む酒といえばビールだが、それは仲間内でトリビーと呼んだ。

「じゃあ、とりあえず生ビールの中ジョッキで」

を略して

「トリビーで」

と言ってワイワイしていた。

さて、カドビーである。

街角で引っ掛けるビール

略して、カドビーである。

これを今風に言えば「路上飲み」になりそうだが、「カドビー」の方が俄然スタイリッシュじゃないか。

そもそも、「街角」と言いつつ、実際には公園のベンチやブランコに座ってが主だった。

コンビニで各々が各々の財布の中身と相談しながら好きな銘柄の酒と好きなおつまみを買い、グダグダ喋りながら飲む。

ボクらはそれほど大騒ぎしなかった。
まあ、シラフの人と比べれば多少うるさいだろうけど、ウェイウェイしていたわけではない。

みんな缶ビールや缶チューハイ1〜2本で2時間くらいダラダラ喋っていたこともあったっけ。
若かったな。

ゴミもちゃんと片付けたし、泥酔するような酒量じゃないし、酒の無理強いやアルハラとも無縁だったし、慎ましくも健全な飲み方だったような。(ただし、記憶は美化されるものだ)

今、このコロナ禍にあって、「路上飲み」がずいぶんと叩かれている。

そりゃあ、飲み屋での大人数のウェイウェイ乱痴気騒ぎが路上に繰り出せば、コロナ禍関係なく叩かれて然るべきだけど、ボクらのカドビーまで一緒くたにしないでほしい。

ましてや飲食店の酒類提供自粛なんていう世紀の勘違い政策もあって、若人はみなぎるパワーを持て余しているのだ。

マナーと節度を守り、飲酒の合間はマスクする(マスク飲酒?)とか、消毒シートで除菌するとかの感染対策をして、少人数で密を避けて、そのうえでのカドビーはなにとぞお目こぼしを。

ああ、また仲間と飲みに繰り出したいな。
でも、カドビーで2時間の体力はもうないかも…

あまり引用した乙武さんの記事と関係ないな。

まあ、いいか。

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