ふたたびのあさかぜ(ボクと夜行列車②)
ボクは鉄です。
名前でも素材でもありません。
鉄道が好きということです。
さて、小6での人生初のブルトレ旅を大満足で終えた僕。
旅を終えた時は「来年も!」と意気込んでいましたが、中学校に進学し、部活もあり、どうしようか決めかねていました。
「やっぱり行く!」と決めたのは7月も末になってから。部活の休みに合わせると時期はお盆時。
父はまたみどりの窓口に並んでくれましたが、人気のあさかぜ1号はすでに完売。
そこで、代わりに手配してくれたのが、臨時のあさかぜ81号でした。
多客期とは言え、寝台特急に臨時列車の設定があったこと自体が隔世の感がありますね。
時は1989(平成元)年。
あさかぜ81号に充当されたのは、なんと元祖ブルトレ、20系でした。
デビュー当時、従来の寝台客車に大きく差をつける装備で「走るホテル」と呼ばれ、その塗色の青がその後の寝台特急の代名詞・ブルートレインの元となりました。
そんな20系も、当時の定期運用は後継の14系、24系に譲って数が少なくなっていましたが、臨時列車としてはまだ運用に入っていました。
そんな貴重な20系でしたが、なんとなく「おぉ、今年は古いの来たかぁ」くらいに思ってました。あの当時に戻って代わりたい…
B三段寝台の上段。同じユニットの残り5段はご家族連れで、前年と同じような空気感で旅しました。
事件は朝、起きました。
三段寝台の場合、朝になると車掌補さんという方が各席を周って、ハシゴを外して中段を上段の下に上げるんです。
上段のボクは、その作業を座席になる下段に座ってうわーって思いながら眺めていました。
当時、すでにB開放寝台は前年に乗った二段が主流で、この作業はすでに懐かしい作業になっていました。それゆえ、何か歴史の生き証人になった気分でウットリさえしていたんです。
で、作業が終わって気付きました。
荷物全部上段に置きっぱなし…
すると、相席のお父様がそれに気付いてくださり、よじ登って荷物を回収してくださいました。ありがたや〜
この年は、終点の博多までご一緒させてもらい、さらに九州他県を目指すご家族と福岡市内に普通列車で向かうボクは別れました。
そして、最も惜しむらくは、この年、写真を撮っておりません!
貴重な20系客車乗車を写真で証明できないもどかしさ…
後に鉄道博物館に展示されている20系オハネフ22形客車(あさかぜ表示)と記念撮影しました…が、見つからず…
もどかしや…
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