命懸けの完走に感動していいのか
昨日全ての競技を終えた東京オリンピック2020。
最終日にして、大変気になるトピックがあった。
男子マラソンに出場した服部勇馬選手。
レース途中でペースを落とし、ふらつきながらも73位で完走。
速報では、足を痛めたのではという見方もあったが…
結果は重症の熱中症。
深部体温40℃、ふらつきが熱中症による痙攣である可能性も併せれば、命に危険が迫るレベルである。
酷暑の東京を避けるために札幌開催となったマラソン。
しかし、皮肉にもというか、今年の札幌は東京にも負けないレベルの酷暑となった。
暑い時間帯を避けて、スタート時間が1時間繰り上がった。
前日の女子マラソンと比べればマシではあったが、それでも過酷な状況には変わりなかった。
実際、各国の選ばれし代表選手106名のうち、3割にあたる30名が途中棄権した。
国際大会優勝経験者やメダル候補までもが熱中症とみられる症状で脱落する中、同じく熱中症の服部選手は完走した。
その闘志は恐れ入るが、周りのスタッフや関係者は、ゴールまで見守るので本当によかったのだろうか?
「棄権が何度も頭をよぎった」という服部選手をゴールまで走らせたのは、意地もあったのだろうが、コーチや家族、支援者を思ってのことと回想している。
それに対して、「さすがは服部選手!」「感動をありがとう!」だけで終わらせていいのか?
代表決定までの苦労と努力、代表決定からの苦労と努力、いずれを取っても、選手本人にとって途中棄権という決断がなかなかできないのもよくわかる。
しかし、それが命懸けになったら行き過ぎじゃないか?
命の危険を察知し、競技を止めることができるのは、選手本人ではなくスタッフやコーチである。
結果的に命に別条はないが、それは結果論にしか見えない。
今回のマラソンで熱中症に見舞われた選手をしっかりリサーチし、症状や状態等整理して今後に活かしてほしい。
「感動した」というフレーズが目立つことで、この先他のスポーツ含めて熱中症の怖さが軽んじられることになれば、近年根付いてきた熱中症の対応が後退してしまいかねない。
感動するなとは言わないが、その感動がこれからの選手を苦しめることになってしまってはいけないのではないだろうか。
最後に。
服部選手、お疲れ様でした!
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