雪深き信濃路の思い出
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車窓に広がるのは一面の銀世界。
春分という時季には季節外れの大雪。
隣の線路を埋めるほど積もった雪は、プラットホームにも届きそうだ。
その向こうで、やっと葉を茂らせて春の支度をした木が、被った雪を払い落とした。
頭から落ちた雪は順々に枝枝の雪を落としていく。
それが合図になったかのように、特急列車はゆっくりと重々しく動き出した。
細かいことはほとんど覚えていないが、確か小4が終わるという春分の日に、私は両親と家族旅行に出かけた。
2回しかなかった我らが3人家族の、法事が全く絡まない泊まりの家族旅行のうちの1回である。
なぜこの時期に、なぜ戸倉上山田温泉という場所に出向いたのか、当時も大して理解していなかったし、父を看取った今となっては全くわからない。
宿が何という名のどういうところだったのか、ご飯は、お風呂は、宿で何をしたのか、そのあたりのことはほとんど覚えていない。
覚えているのは、上野からエル特急・あさまで碓氷峠を越えて信越本線(当時)の戸倉駅まで向かったこと。
朝になったら大雪で、父が事前に練っていた旅のプランが白紙になったこと。
そして、冒頭の雪の駅。
とにかくとんでもない雪で観光どころではなくなり、チェックアウトしてすぐ戸倉駅に向かい、一番直近の上り特急・あさまに乗り込んで帰路に就く。
信濃路の雪はどんどん強くなる中、列車はようやく軽井沢駅に到着。
そこで碓氷峠越えのためにEF63という機関車を連結するために停まっていた時の車窓が、この時の旅行の、私の中でのハイライトだ。
雪が音を吸ってしまった世界が、暖房で曇る窓の向こうにある。
一面の銀世界を見ること自体が初めてで、枝枝から落ちる雪の描写も、それまでは映像でしか見たことなかった。
線路があるはずのホームの脇にも、見えるのは雪ばかり。
父はせっかくの旅行のために立てたプランがフイになったことでいささか気落ちしていたが、私は充分に初めての本格的な雪景色を満喫していた。
家に着いてから、我々家族を乗せた“あさま”の後の列車から、長野県内の信越本線は大雪で終日運休になったと聞いた。
そのニュースに、プランを捨てて帰路に就くという選択が正しかったと安堵した父の表情もなんとなく覚えている。
今は自分が父となり、家族旅行も行ける時に行っている。
毎年の夏に訪れる“定宿”もできた。
親を連れて行ったこともある。
親として家族旅行にたくさん連れて行きたいと思うのは、自分が子として家族旅行にそれほど行かなかった反動もあるかもしれないけれど、それ以上にあの雪景色の感動が旅へと駆り立てるのもあるかもしれない。