社会に向けた優しい眼差し
2021年最後の読書に選んだのはこちら。
前作「家族だから愛したのではなくて、愛したのが家族だった。」は、岸田奈美さんが家族をどう捉え、どう関わってきて、どう思っているのかが描かれていた。
いわば、岸田奈美さんの内面がどのようにして形作られてきたのかを振り返るような作品だった。
そんな作品に対してどんなレビュー載せたっけ?とnoteをたどったら、まさかの小ネタ評だった。
なんて間抜けなオレ。
そんなことは置いといて。
今作は、家族を愛しているという基盤に立って、岸田奈美さんが社会をどう見ているのかが描かれている。
岸田奈美さんの最大の魅力(だと勝手に感じているの)は、自身の内に起こる“揺れ”を“揺れ”のまま描きつつ、その時点の最適解にふわっと着地していることだ。
私も含め、人は絶えず“揺れて”いる。
でも、“揺れ”をありのまま描くと、なんだか軸のない人間なようで、ブレてる存在のようで、臆してしまう。
それゆえに、“揺れ”は裏にしまいこんで、着地した解だけを、あたかもどっしりしたもののように記してしまう。
そんなことありません?
でも、岸田奈美さんは、怒りや戸惑いに揺れながら、ふとその怒りや戸惑いを俯瞰して、裏や陰にある相手の苦しさや辛さに目を向けられる。あるいは向けようと力を尽くす。
その過程も書くことで、岸田奈美さんの“揺れ”は読者の“揺れ”になる。
さらに、示された解もまだ“揺れ”がある。
だから、読者に考える余地が残る。
読者が抱いた“揺れ”の最適解は、読者に委ねられる。
そして、岸田奈美さんの最適解の基盤は、優しさにある。
慈愛と言ってもいい。
しかも、それは大上段から降ってくる慈愛ではなくて、同じ地平からそっと差し出される慈愛だ。
私は岸田奈美さんの文章から、毎回慈愛を受け取っている。
だからいつでも読みたい。
今、岸田奈美さんは少し辛い。
私にも辛い時期があった。
だから少しその辛さを共有できている(気がしてる)。
私は岸田奈美さんを推すことしかできないから、これからもガンガン推す。
“揺れ”の最適解を探しながら。