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みんなちがって、みんな( )いい
童謡詩人・金子みすゞの代表作「私と小鳥と鈴と」
この題名に聞き覚えがなくても、このフレーズは聞き覚えがあるだろう。
みんなちがって みんないい
詩の中では、「私」と「小鳥」、「私」と「鈴」を対比し、それぞれにできることできないことがあると歌って、その対比が「ちがい」であり、それぞれが「いい」と歌っている。
さて、この「いい」は、”GOOD”の意味合いでとらえる人が多いのではないだろうかと思う。
人に限らず、それぞれにはそれぞれの”良さ”があるのだという解釈。
みんながそれぞれ違う存在で、みんなにそれぞれ良さがあるんだ、ということ。
でも、それって重いな、とも思う。
”良さ”とは、”悪さ””至らなさ”との対比にもなり得て、「みんなにいいところあるじゃん」というのは、「悪いところ、至らないところもあるけどさ」が隠れているように感じてしまう。
まあ、これは私のような自己肯定感の低い人特有の感覚かもしれないけど。
でも、「いい」の前に、「そのままで」を入れるとちょっと雰囲気が変わらないだろうか。
”GOOD”ではなく、”Be as You are”になるのかな。”Let it Be”だと違うのかしら。
みんなそれぞれが違う存在なのだから、無理に同じにしようとしないで、そのままでいいよ、その在り方のままでいいよ。
自分の在り方を”それこそが自分自身だ”と受け入れると同時に、他者の在り方をそのままに認める姿勢。
”良し・悪し”という価値判断は取っ払い、ただ認め、受け入れあう。
極論を言えば、「みんなちがって、他のみんなのことなどどうでもいい」のかもしれない。
肩ひじ張らず、押し付けず、羨まず、それぞれがそれぞれのままに幸せでいられる社会こそ、インクルーシブなんじゃないかと思う。
私の夢想するハイパー児童館ぷれいす=みんなの居場所のコンセプトも、「ありのままで、あたりまえに」とした。
ありのままの在り方を、これがあたりまえだからと受け入れ合う場をつくりたいし、そういう社会にしたい。
鈴と小鳥とそれから私
みんなちがって みんないい