何者どもかの夢の跡
【気になる短路線の旅】
〜京王競馬場線の巻〜
かの松尾芭蕉は、夏草の広がる古戦場に、剛のものたちが夢に散る情景を重ねていた。
夏草や 強者どもが 夢の跡
今日訪れた場所も、何某かの夢の跡を感じられるかもしれない。
まずやってきたのは、京王線の東府中駅。
私の知っている東府中駅は、地上駅舎の長閑な駅でしたが、橋上駅舎にお店も構える立派な駅になっていました。
急行停車駅なのですが、今のダイヤでは日中に本線系統に急行が走っていないので、実質各駅停車オンリーの駅になってしまいました。
今日はこの東府中駅1番線から。
2両編成のコンパクトな編成は
京王競馬場線の府中競馬正門前行き。
競馬開催日はきっと賑わうのであろうこの列車も、平日の昼間はこの通り。
乗客2名を乗せた列車が発車します。
一駅区間ながら、全線複線の立派な配線。
乗車2分で、終点・府中競馬正門前に到着です。
広大なホームは10両編成にも対応。
改札口も土日にはかなり賑わうことでしょう。
今日はひっそりしている改札口に抜けて外へ。
競馬開催日は臨時の特急が走るらしい。
縁起の良さそうな馬がお出迎え。
競馬場へは立派なペデストリアンデッキがありますが、今日は閉まっています。
せっかくなので、競馬場まで行ってみましょう。
駅名の違い「東京競馬場」ですが、駅名の通り「正門」なので、作りが立派です。
府中本町駅方面に散策してみましょう。
府中本町側の西門が見えてきました。
開催日にはにぎわっているだろう飲食店もさびれて見えてしまいます。
西門から伸びるペデストリアンデッキは、JR府中本町駅につながっていました。
ところで、今は京王の府中競馬正門前駅とJRの府中本町駅が東京競馬場の最寄駅ですが、1976(昭和51)年まで、もう一つの最寄駅、国鉄の東京競馬場前駅がありました。
ちょっとそこを目指してみましょう。
矢崎地下道を抜けた先が、国鉄中央本線支線、通称・下河原線の東京競馬場駅跡地であることは、いろいろ調べた結果間違いない。
…のですが、あまりに痕跡や目印がなくてとまどってしまう
東京競馬場駅は、現在のJR南武線・武蔵野線の線路と直交する形で位置していたらしいので、この木立が駅(ホーム)の名残のようです。
地図とネットの情報によると、下河原線の廃線跡は緑道として整備されているとのことだったので、ちょっと歩いてみましょう。
少し進むと、左側から別の緑道が合流してきました。
あとで調べて分かったことだけど、下河原線は中央線の国分寺で分岐し、現在の武蔵野線・北府中駅を通って南下し、ここで東京競馬場前に向かう旅客線と、下河原駅に向かう貨物線に分かれていたとのこと。
さて、先に進むのですが…
どうも、この緑道が下河原線の跡だと示すもの、銘板だったり、案内だったりが見当たらない。
上り坂が見えてきて、なにかと思ったら、
さっき、南武線とのオーバークロスを渡った脇にあった気になる建物が気になって寄り道してみました。
どうやら、こちらのお寺のようです。
立派なお寺さんでした。
さて、戻ります。
進んでいくと、ようやく…
鉄道遺構である証明が現れました。
ささやかすぎん?
京王線とオーバークロス。
どうやら、京王線府中駅が高架になる前からここはオーバークロスだったようです。
そして、国道の甲州街道と交差。
ここにきてようやく鉄道遺構が緑道になったというしっかりした説明が得られました。
そして、ここが緑道の端。
緑道はここまでなんですが、どうも道が続いているようなので、進んでみます。
抜けると道路にぶつかり、その道路も渡っていくと、
ここが、今の武蔵野線とかつての下河原線が分岐する南側の結節点であることは間違いなさそう、という結論を得て、今回の下河原緑道散策は終了。
いやあ、よく歩きました。
京王線の府中駅に来ました。
レースのない閑散とした競馬場を見て回ったら、鉄道から緑道へと姿を変えながら、街の人の癒しになっている下河原線の痕跡をたどる旅へと発展しました。
街歩きの奥は深い。
競馬場 勝負師たちが 夢の跡
今回この記事を作成する中で、参考になり、また貴重な写真を掲載されているブログを見つけたので、参考文献としてリンクを貼っておきます。
廃線間もない、まだしっかりと線路が残る下河原線のスナップです。
かなり貴重なのではないでしょうか。