10年経って
十年ひと昔…
でも、なかなか昔になりきらない10年もある。
東日本大震災から10年経った。
2011年3月11日午後2時46分
私は東京メトロ丸ノ内線の車内にいた。
御茶ノ水駅から乗った池袋行きが本郷三丁目駅を出発して間もなく、トンネル内で電車が止まった。
急ブレーキではなかったが、何か緊急事態なんだという空気はあった。
間もなく感じたのは、地響きのような唸り。
それが何か考えた刹那、激しい揺れが襲う。
線路の上を跳ねているかと思うような激しい揺れ。
地震!とんでもなく大きい地震!
しかし、不思議と車内の(少なくとも同じ車輌に乗り合わせた)乗客は冷静だった。
スピーカーからは「車内が安全です!みだりに外に出ないでください!」という乗務員のアナウンスが何回も響く。
揺れが収まって少し経ち、電車は次の後楽園駅まで徐行運転して打ち切り。
多数の乗客とともに、駅隣の礫川(れきせん)公園に避難。
私は元々行く予定だった巣鴨の心療内科まで歩き(Dr.に驚かれた)、診察の後は運転の見込みがない地下鉄を諦め、バスを乗り継ぐべく池袋駅へ。
しかし、池袋駅から地元に帰るバス待ちの列のあまりの長さ(バス10台分以上に見えた)にこれも諦め、意を決して徒歩での帰宅に踏み切った。
通常なら電車で20分程度の道のりも、全行程徒歩では3時間以上。
自転車店は軒並み店じまい。
コンビニの棚はスカスカ(でも明かりだけでも救いだった)。
電話は全く繋がらず、公衆電話は見つからない。
車道の渋滞は想像を絶していてほとんど進む気配がなく、乗る予定のバスを歩きで3台追い抜いた。
そして、歩道も同じ境遇の歩行者でごった返していた。
日の暮れかかる夕刻に歩き始めたが、ようやく帰宅したころには21時になろうとしていた。寒い夜だった。
10年経って振り返れば。
車道を埋め尽くす車も、歩道を埋め尽くす人も、万が一の二次災害時には対応の妨げになり、場合によっては余計な被害まで産みかねない。
あの日、地下鉄と一部民鉄は、余震が落ち着き、当座の安全が確認された段階(確か20時過ぎ)で臨時の終夜運転に踏み切り、当日の帰宅難民解消に尽力した(JRは翌週頭まで不通だったが)。
あの日繋がらなかった携帯電話網を補うSNSが拡大した。
もし次の大震災が来て帰宅難民になっても、急いで帰ろうとしてはいけないなと、今は思う。
SNSで自らの安全を周知し、また家族の安否を確認したら、極力どこかの場に留まらねば。
この10年は、「なかなか昔になりきらない10年」ではなかった。
「決して昔にしてはならない10年」だ。
天災は忘れた頃にやって来る。
だからこそ、忘れてはならない。
だからこそ活かさなきゃならない。
...うまくまとまらなかった。