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女子高校生研究概論A
現在までに女子高校生について分かっていることは非常に少ない。知っての通り、大動乱の10世紀の間に古代地球文明の多くの文物が失われてしまっているからだ。
ただ、残された数少ない文献、絵画、映像データなどのうちのかなりの割合のものが、女子高校生の存在に言及している。古代文明人にとって、女子高校生は深い崇拝と信仰の対象であったことは間違いない。
その言葉は直接間接に、古代文明の政治、経済を動かした。
女子高校生となるためには、生まれながらの女性であることが必要だった。古代文明人は、ごく原始的な性変換技術しか持たなかったし、現在の我々からは信じられないほど生まれながらの性別への固執が強かった。
生まれながらの男性が女性になりすまして女子高校生となったことを伝える史料も存在するものの、ごく例外的な少数であったと考えられている。
多くの女性が一定の年齢になると、女子中学生と呼ばれる地位を与えられた。女子高校生となるための準備段階とも言える立場であり、その中から厳しい選抜試験を通過したものだけが女子高校生となることができた。
その競争率がどの程度であったかは史料がとぼしくはっきりしない。ただ、選抜試験の過程で死者の出ることもあったということから、その厳しさがうかがい知れる。
女子高校生は学校と呼ばれる神殿で研鑽と鍛練の日々を送った。彼女たちが用いていた経典の多くがやはり消失してしまっていて、その全体像は明らかではない。しかし、前述の通り、女子高校生は古代地球文明社会の動向に多大な影響を与える立場にあり、当時考えられる最高水準の教養、知識が求められたであろう。
現在多くの者が誤解していることだが、全寮制と呼ばれる特に厳格な一部を除いて、女子高校生が神殿から一歩も出ずに生活していたということはない。史料によるばらつきはあるものの、彼女たちが神殿で過ごす時間は、一日のうちの7~8地球時間前後、10地球時間を越えるということはなかった。これは逆にその短い時間内における修養の濃密さを推察させるものである。
女子高校生が神殿内でまとったとされる、制服と呼ばれる宗教衣装が具体的にどのようなものであったかは、諸説ある。女子高校生は数多くの芸術作品のモチーフとされたが、そこに描かれた制服はあまりに多種多様で正確性を欠く。多くの作者が女子高校生を直接に知ることなく想像で補ったためであろう。
セーラー服説とブレザー制服説が現在の二大潮流となっているが、他にスクール水着説、ジャージ体操着説など、どれも一長一短あって定説と呼べるものとはなっていない。
古代文明時代の他の多くの宗教従事者がそうであったように、女子高校生には強く処女性が求められた。女子高校生との性行為はかたく法律で禁じられていた。それにも関わらず、女子高校生との交わりを求める男性は多かったようで、そのために刑罰に処される者は多数に上ったとする史料もある。
その行為によって、女子高校生のもつ神聖性を自分の中にも取り込めると信じられていたという説が有力視されている。
女子高校生を現代に甦らせようという試みは、国家規模のプロジェクトから市井の一研究者によるものまで、さまざまに繰り返されてきた。自分こそ現在の女子高校生であると自称するカルト的な人物を別にして、その成果はあまりに乏しい。
ブー・セラム教授の「JKリバイブプロジェクト」は、考えられる限り最も精密に古代の学校を再現、選りすぐった500人の女性を被験者としてそこで学ばせるというものだったが、史料から読み解けるような絶大な能力をもった女子高校生はついにひとりも産み出せなかった。
古代地球文明のさらなる研究が待たれる。
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女子高校生研究概論B|藤沢奈緒 #note