偽(あね)姉1
「ふぅん?」
お姉ちゃんは、面白い玩具でも見つけたような顔で、僕のことをまじまじと見回した。
わざとなのかどうか、やたらと足を組み換えるので、膝丈のスカートから肉付きのいいふとももがちらちらして、こちらは目のやり場に困る。
「聞いたことはあったわ、君みたいな人もいるっていうこと。会うのは初めてだけどね」
認めた。
お姉ちゃんと僕は、今日初めて出会ったのだ。
いや、そもそもこの人は僕のお姉ちゃんではない。
名前は杉原美桜《みお》、僕よりよっつ年上の16才高2、誕生日は7月14日。
食べ物の好き嫌い、身長体重、なぜかスリーサイズにいたるまで、プロフィールはすらすら出てくる。
ついお姉ちゃんと呼んでしまいもする。
小さい頃一緒に遊んだ記憶さえ、おぼろげに浮かんで来そうだ。
それでも絶対に僕はこの人のことをなんか知らない。
今日学校から帰ったら当たり前のような顔をして、「おかえり」と僕を出迎え、僕もそれまでずっとそうしてきたようなつもりで「ただいま」と返しそうになった。
「誰?」
「え?」
お姉ちゃんは、本当に驚いたというように目を見張って僕をまじまじと見た。
そう、この時にはもう僕はこの人のことを自分の姉だと、さっきあげたようなプロフィールとともに認識していたのだった。
それでも、けしてそうではないということも分かっていた。
ここらへん、うまい例えが浮かばないのだけど、あんまり熱心に読み込んだ小説を自分の実体験のように思えてしまうような、それでも頭ではそれは違うと分かっているというような、そんな感じだ。
「何言ってるのよ、ナオくん、お姉ちゃんでしょ?」
「いやいや、だって僕は……」
「お姉ちゃんでしょ!」
僕は一人っ子で、と言いかけたのをさえぎって、強い口調で一音節ずつはっきり区切るようにしながら、言った。
「あ、ああ」
そうだ、お姉ちゃんじゃないか、なんでこんな大切な人を忘れたりなんかしたんだろう。
ほんの一瞬、そんな風に思い直しそうになったのだけど。
「いや、やっぱり違う。僕に姉はいませんよ」
「ええー!?」
あきれたような、信じられないというような表情でお姉ちゃんは叫んだ。
どうなってんの、か何かぶつぶつこぼしながら、僕の回りをぐるぐる歩きまわり、珍獣でも観察するような目を向けてきた。
なんとも居心地悪く感じながら、僕の方でもお姉ちゃんと称する謎の女の人を改めて見つめなおすことが出来た。
美少女なのは間違いない。
小顔でくっきりした目鼻立ちは見事なアイドル顔。
こんな姉がいたら忘れるはずがないと思うような、いや、逆に忘れてしまうかもしれないと思うような。
なんというか、個々のパーツがあんまり出来すぎで大量生産タイプの美人、という感じなのだ。
道を歩いたら男たちはみんな振り向くだろうが、すれ違って5分もしたら印象に残っていないのじゃないだろうか。
身につけているのは純白に青のラインのセーラー服で、どこかで見たような気もするが、少なくともこの近辺の学校のものではない。
「どうしたの、大きな声を出して。ケンカでもしてるの?」
リビングに美菜子さんが顔を出していった。
おばあちゃんと言うといやがるので美菜子さんと呼んでいるが、僕の祖母だ。
ということは、僕のお姉ちゃんを自称する女の人から見ても、ということになる。
「ね、美菜子さん、この人なんだけど」
「美桜がどうかした? いやね、この人だなんて他人行儀な。本当にケンカなの?」
やれやれという調子で言う美菜子さんに、口裏を合わせて僕をからかっているという様子はない。
テレビなど見ていても何を考えているかよく顔に出ている、どこまでも嘘のつけない人なのだ。
「あー、大丈夫。ちょっとしたナオくんの勘違いなんだから。ね、ナオくん?」
僕の腕をつかみながら、最後のところはさっきと同じように強調口調で、お姉ちゃんは言った。
「あ、うん。お姉ちゃんと僕と、どっちが間違ってるかって話で、全然たいしたことじゃないから」
そんな言葉がすっと出た。
言わされたという感じはなく、少なくともその瞬間には、僕は本当にそう思っていたのだ。
「ま、そんなこんな、詳しい話は2階でしましょう。ほら、早く」
「うん、お姉ちゃん」
なぜ自分はこんなに素直にこの人をお姉ちゃんと呼んでいるのだろうと思った。
2階の僕の部屋に上がった。
正体不明の女の人と二人きりになるというのに、僕はまったく抵抗も覚えず、言われるがままだった。
それこそ仲の良いお姉ちゃんの言うことを素直に聞く弟のように。
部屋に入ってずっと握られていた手を離されるまでは。
「あ、あなたは一体何者なんですか? 美菜子さんや僕に何をしたんです?」
我に返って僕は言った。
そんな僕の変わりぶり、正気の取り戻しぶりに、お姉ちゃん(めんどくさいからもうこう呼んでしまうけど)は興味深そうに首をかしげると。
「まあ、詳しい話はおいおい。その前に少し試させて」
それから、お姉ちゃんは僕にあれをしろ、これをしろ、こう思え、こう感じろといくつも指示を出した。
普通の口調だったり、少しきつめだったり、時には手を握ったり、もっと大胆に接触してきたり(柔らかかった……)しながら。
お姉ちゃんが何を試そうとしているのかは、僕にも何となく分かった。
ここまでの経緯で薄々は察することも出来たことだった。
つまり、彼女の言葉には人の記憶や心をあやつる力がある。
さっきの美菜子さんの様子からして、相当協力に。
その力はけれど、僕には思うように働かないらしいのだ。
お姉ちゃんから「服を脱いで」と言われたら、そうしそうにはなる。
それが自分の意思でしたいことのように。
指示の内容がいちいち突拍子もないのは、普通なら簡単に従わないようなことでないと実験にならないからだそうだけど。
普通に言われたのでは、一瞬そうしたい、しなくてはいけないと思うだけで、僕はすぐ我に返ってしまう。
きつめの口調でお願いや頼みというより、命令と言いたいような言われ方をすると、もっとはっきりそうなって、同様の例でいうと制服のボタンに手をかけるくらいまでは行ってしまう。
手をつなぐなど、身体を直接ふれあわせることで、もっと協力な作用を生むことができ、それは密着度に正比例するようだった。
ぎゅっと抱きすくめられながら耳元で願いを告げられたら、まず疑問をさしはさむことも出来ずに言いなりになってしまう。
しかしそれも長続きはしない。
身体を離せば僕はすぐ元の僕に戻るという訳だ。
そして話は冒頭の場面に戻る。
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